国家機密の壁に爪を立てるようにして.いただきを登りはじめた 第1,563号

 同時多発テロ事件の際に11日間連続の中継放送

を担当した元NHKワシントン支局長で、ベス

トセラーとなったインテリジェンス小説

『ウルトラ・ダラー』 の著者が、世

界29の都市で見た、歴史的事件

の裏側、政治家、スパイた

ちの素顔を描く。

 読んでいるだけでスパイになって世界を旅

しているような気分になる、至極の

連作ノンフィクション集。

 日本にあってはインテリジェンスはどこか

哀しげな影を宿している。第二次世界大戦

の敗色が一段と濃くなっていた東京に、

北欧の都ストックホルムから機密

電報が打電されてきた。だが、

この極秘のインテリジェ

ンスは暗号を解かれ

て政府と軍の首脳に届け

られる前に、深い闇に葬られ

る運命にあった「ソ連はドイツ

の降伏より3ヶ月を準備期間として、

対日参戦する」

 このヤルタ密約こそ日本の敗北を決定づける

ものだった。だがそれゆえに、当時の陸軍

の首脳陣は負のインテリジェンスを頑な

に受け入れようとしなかった。第一級

の情報に接しても、不吉な将来を

予見していれば、烈しい拒絶反応を示す。

 第二次世界大戦を通して小野寺信少将は、帝国

陸軍のスウェーデン駐在武官だった。インテリ

ジェンス・ジェネラル、小野寺は、ロンドン

に本拠を置くポーランド亡命政府と緊密

な関係を築き上げ、連合国側の極秘

情報を入手していた。その最大級

のインテリジェンスこそ、ヤル

タ密約の極東条項だった。

 この国では流した汗と費やした時間の総量が

発言力の大きさを規定してしまう。だが、

インテリジェンスの世界にあっては、

流した汗の量や費やした時間が、

正しい結論を導き出すとは限らない。

それゆえ、かつての東西両陣営の情報機関

では、ともにその経験則から情報を収集

する者とこれを分析する者の役割を

峻別してきたのである。

 分析の踏み台を直感の脚力で蹴ることのできる

者こそ独創的な啓示を得る、と看破したのは

かの開高健だった。インテリジェンスを

読み解く者が、石をひたすら拾い集

める者の努力を思って、情に流

されればたちまち直感の脚力

は萎えてしまう。あるとき

はおのが国の滅亡すら

冷たく予言し、あるときは情報

の質を極限までに追い求めて、

汗の介在を断じて許さない。

 エルプールズ山脈の裾野に広がるペルシャの

都市テヘランの地に、わが日本の諜報組織

の戦果が花開いたのは、1991年。湾岸

戦争の開栓前夜のことであった。こ

の日、イラク空軍の編隊40数機が

突如イラン・イラク国境に姿を

見せ、仇敵イラン領内の基地に着陸を試みた。

 日本大使館の情報アンテナが異変の片鱗を捉え

たのはその直後だった。中東の大国イランは

背後でかつて戦火を交えたイラクとひそ

かな盟約を結んだのか。それとも、単

なる空軍将校の集団亡命なのか。斉

藤邦彦駐イラン大使に率いられた

情報戦士たちは、国家機密の壁

に爪を立てるようにしていた

だきを登りはじめた。そう

してイランの最高首脳の真意に迫っていた。

 「誰しもそうなのだが、国家も金銭で買う

ことができるものを信じ、買えない

ものは疑ってかかる」

 同盟国といえども、決して安易に機密情報を

投げ与えてはならない。コストをかけずに

受け取った情報など、提供された相手

も真のインテリジェンスとは受け

取らないからだ。

 イランの複雑怪奇な行動に伏流する多義性を

精緻に分析した斉藤情報は、湾岸戦争の終

結後、十数年が経った今日もなお、そ

の輝きを失っていない。国家の指導

者が欲する情報に安易に迎合し

ない、そうしたインテリ

ジェンスには、独自の生命力が宿っている。

 手嶋龍一『ライオンと蜘蛛の巣:イン

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 今回も最後までお読みくださり、

       ありがとうございました。感謝!

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