主人の表情はとても穏やかで嬉しそうでした = 2-2 = 第1,009号

 上島会長は、何度も視察へ訪れ、大声で

怒鳴り、そして叱咤激励してくれた。

「お前やったらできる。だから思いっきり

暴れ回れ。責任は全部わしが取る」

 尊敬する人から、そこまで言われて

発奮しない人間がいるだろうか。

 会長は、何もかもお見通しだった。

 低カフェインのコーヒーの価値が

わかっていない人が多い。

 それが如何に貴重で、さまざまな

可能性を秘めているかを。

 ジャマイカ駐在時代、上島忠雄会長

に言われたことがある。

 「お前は『ブルーマウンテン』という

最高のコーヒーを作るんや。

 だから、出張先は一流のホテルに泊まって、

一流のレストランで食事しろ」

 コーヒーもワインも同様フルーツ

からできている。

 おいしいコーヒーを飲み続けるために

も、消費者は本物の味を知り、品質に

合った対価を支払ってほしい。

 コーヒーはワインに勝るとも劣ら

ない奥深い飲み物である。

 日々の生活に潤いを与え、特別な

日に華を添えることができる

コーヒーに匹敵する。

 市場に本当においしいコーヒーを届け

続ければ、品質を見極めることが

できる人が増えていく。

 そうすればコーヒーの価値が上がり、

生産者の大きな励みになる。

 コーヒー市場が成熟していくことで、

ワインのような品質のピラミットが

できあがり、最高品質を頂点と

した、コーヒーの品質のピラ

ミットのすそ野が広がっていく。

 2011年、12月24日、クリスマスイブ。

 経営するカフェ「ミカフェート」にいた。

 ひとり物悲しい女性が入ってきた。

 挽いた「グラン・クリュ・カフェ」を

購入したい、それから持参した魔法瓶

にブルーマウンテンを入れて持ち

帰りたいと、おっしゃった。

 ここでは、豆でしか販売しないと決めて

いたし、テイクアウトもしていなかった。

 事情を聞いた。「学生時代の恩師が、肺

がんで余命いくばくもありません。

 ブルーマウンテンが大好きで、東京中の

名店と言われる店のコーヒーを病院に

届けたが、『どれも、昔おいし

かったブルーマウンテンでは

ない』とおっしゃるのです。

 亡くなる前に、どうしても恩師が好きだ

った昔のおいしいブルーマウンテンを

飲ませてあげたいのです」

 12月27日、私は、機材を

もって病院へ行った。

 病室へ入ると、加藤氏は吸引器をつけて

目を閉じてねているようだった。

 ブルーマウンテンが入ったボトルを開栓

し、病室がアロマに包まれると、

加藤氏が目を覚ました。

 私がコーヒーの抽出を始めると、加藤氏

は私の手元をじっと見つめていた。

 「おとうさんの自己呼吸の数値がどんどん

上がっている」突然、奥様が声をあげた。

 側にいた医者が驚くほど、加藤氏の

自己呼吸の数値は回復していた。

 「自分で飲む」加藤氏は震える手でカッ

プを持ち、コーヒーを口にふくんだ。

 「おいしい。この甘みこそが、私が昔

飲んだブルーマウンテンです。

 やっとあのころのおいしいブルーマウン

テンを飲むことができた。ありがとう、

ありがとう」

 加藤氏は、最後のひと口までゆっくり

ブルーマウンテンを飲んでくれた。

 そして、とても穏やかな

表情で目を閉じた。

 その4日後の12月31日、奥様

から電話があった。

 加藤氏が亡くなったと。

 「最後に主人はあんなにおいしいブルー

マウンテンを飲むことができました。

 コーヒーを飲んでいるときの主人の表情

はとても穏やかで嬉しそうでした。

 クリスマスイブに起こった奇跡が、

主人の願いを叶えてくれました」

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今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝

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