長い間の年期をかけた修練・習熟というものが要るのであります 第 2,849 号

安岡正篤師の没後40周年を記念し、
復刊された『活学 第一編』。

本書の復刊を記念し、『活学 第二編』を
ご注文いただいた方には、先着1,000名様
限定で、安岡正篤先生の色紙「三學戒(さんがく
かい)」をプレゼントいたします。ぜひお早めに
にご予約ください。


本書の中から、「人間の三不幸」という
お話をご紹介いたします。


……………………………
 人間の三不幸
……………………………


伊川先生言ふ、人・三不幸あり。

少年にして高科に登る、一不幸なり。

父兄の勢に席よつて美官となる、二不幸なり。

高才有つて文章を能くす、三不幸なり。



年の若いのにどんどん上へあがる。世の中は

こんなものだと思ったら大間違いである。

というのは修練というものを
欠いてしまうことになるからで、
これは不幸である。

これは官ばかりではない。

親のお蔭で若輩が重役になったりする、
皆同じことである。

又いろいろの勝れた才能があって、文章を
能くする、──文は飾る、表わすということで、
つまり弁が立ったり、文才があったりして
表現が上手なこと──これも大きな不幸である。


今日は選手万能の時代で、野球とか、歌舞とか、
若くて出来る者にわいわい騒ぐ。

これは当人にとって大きな不幸であります。

若くてちょっと小説を二つ三つ書くと、
忽ち流行作家になって大威張りする。

小娘がちょっと歌や踊りが出来ると、やれテレビだ、
映画だ、とひっぱり出して誇大に宣伝する。

つまらない雑誌や新聞がそれを又デカデカと報道。

変態現象というか、実に面妖なことで、
決して喜ばしい現象ではないのであります。

というのは、人間でも動物でも、
或は又植物でもなんでもそうでありますが、
本当に大成させるためには
それこそ朱子の序文にある通り、

「習・知と与に長じ、化・心と与に成る」、

という長い間の年期をかけた修練・習熟という
ものが要るのであります。

決してインスタントに出来上がるものではない。

特に幼・少時代というものは、
出来るだけ本人自身の充実・大成に力を注いで、
対社会活動などは避けた方が良いのであります。

又自からも避ける心掛けが大切で、
それでこそ大成出来るのであります。

これを忘れて、外ばかり向いて活動しておると、
あだ花のように直ぐ散ってしまう。

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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