天涯孤独に生まれ極貧の少年期を過ごす 第1,516号

 常識の逆をやれば上手くいく。オンリー

ワン、ナンバーワンへのこだわり。

 1974年、私と妻の直美は名古屋市の西区

の外れに「カレーハウス・ココ壱番屋」

の前身となる喫茶店「バッカス」

を開業した。

 日本一の標語「お客様、笑顔で迎え、心で

拍手」「ニコ、キビ、ハキ」が壱番屋の

モットー。「繁盛」すべて原点は接

客にあり。ニコニコ、キビキビ、

ハキハキ。

 天涯孤独に生まれ極貧の少年期を過ごす。

 私は終戦直後の社会がまだ混乱していたころ、

昭和23年1948年10月14日に石川県で生ま

れた。どんな家庭で、どんな両親のもと

生まれたか、分からない。

 兵庫県尼崎市の児童養護施設にいた3歳の

私を引き取ってくれたのが、宗次福松、

清子の養父母だ。

 1955年、私は小学校に入学した。

 養父の異常な競輪熱が収まらず、養母は

蒸発。私のほうは、養母が蒸発したから

と泣いてばかりもいられなかった。

毎日、学校から帰り近所の友達

と夢中で遊んだあとは、ロー

ソクの灯りで養父の帰り

を待ちながら、掃除

や炊事をするのが私の仕事だった。

 空腹に耐えかね、毎日のように道端に自生し

ている柿やビワ、イチジクに手を伸ばし、

果ては野草まで食べていた。

 珍しく米があるときは、より多くの麦を混ぜ

てから近所の井戸水を研いで、拾ってきた

木切れを薪代わりにした。当時6歳か

7歳の私が炊いていたのだ。

 学校の給食がない日は、持っていく弁当も

ないため、給食の時間になると教室をそっ

と抜け出し、校舎の陰でじっと空腹に

耐えていたものだ。

 夜、外で養父の帰りを待っていると、隣の

家の母親が、ひとつの卵を割って3人の

子どもに分け与えているのが見えた。

 このときの光景を50年以上経ったいまでも

ハッキリ思い出すことができるのは、それ

がよほど羨ましかっただろう。貧乏と

孤独に耐える日々だった。

 ある日、養父に連れられパチンコ店に行った

とき、床に落ちているタバコの吸い殻を養父

が無造作に拾い、あとでそれをキセルに

詰めてうまそうに吸うのを見た。

 そのとき以来、私はヒマを見つけてはひとり

で店へ行き、夢中でパチンコに興じる大人

たちの足元をかき分け、「シケモク」

を集めてポケットに入れ、家に

持ち帰って養父に渡すようになった。

 ふだん不機嫌な顔しか見せない養父も、この

ときばかりは「そうか、そうか」と喜んで

くれた。この笑顔が見たくて、小学生

の私はせっせと4キロも離れたパ

チンコ店に通ったものだ。

 養父は、年に一回だけ、職業安定所でもら

う年末一時金で自分の好きなリンゴを2個、

お土産に買ってきた。あのリンゴの

味は格別にうまかった。

 言いつけを守らなかったときには大声で

ひどく叱る厳しい男だったが、そんな

親でも大好きだったのだ。

 宗次徳二『日本一の変人経営者

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 今回も最後までお読みくださり、

       ありがとうございました。感謝!

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