自然を愛し尊ぶ心は世界の人々に共通している 第 2,746 号

古来、日本人は季節の移ろいを敏感に感じ取り、
それを生活文化として昇華させてきました。

『致知』4月号の「巻頭の言葉」では、
日本神話ゆかりの地・
高千穂神社宮司の後藤俊彦氏が
「悠久なる歴史や日常の暮らしを見直し、
本来あるべき生き方を考える」をテーマに
思いを綴られています。

日本文化に基づいた本来あるべき生き方とは
どのようなものでしょうか。

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(後藤)

年立ちてまづ汲みあぐる若水の
すめる心を人は持たなむ

この和歌は年の始めを尊ばれた
大正天皇の御製である。
昇る太陽も汲む水も常に変わらないが、
私共はそれを新年には初日と呼び、
若水と称たたえる。
年が改まれば天地自然もまた神聖な命が
蘇ると信じているからである。

「冬来たりなば春遠からじ」というが、
一月から三月にかけて時は瞬く間に過ぎてゆく。
日本人が季節の移ろいを感じとる感性が鋭い
のは、変化に恵まれた四季の風土に生き、
人と自然の間に一線を画すことなく
一つの生命体として捉えてきたからだろう。

キリスト教にもイースター(復活祭)などの
四旬節があり、
自然を愛し尊ぶ心は世界の人々に共通して
いるが、それを五節句や年中行事として
生活文化にまで昇華させてきたところに
わが国の国風のようなものを感じる。

例えば、花粉が飛散し病気が流行りやすい
三月は桃の節句である。
わが国では伊邪那岐命が桃の実を投げて
黄泉の国の悪鬼を追い払った神話等の記述から、
古来桃には邪気を祓うとの信仰があった。

平安時代には紙や木片で作った
人形で体を撫で、
息を吹きかけて身の穢れや禍いを落とし、
川に流して身を清める「流し雛」であったが、
市民文化が成熟してくる江戸時代の中頃から
観賞用の立派な雛人形が飾られるようになった。

五月は梅雨の季節で田植え月である。
労働で疲れた身体を病気から守るために、
この時期に根が薬用植物である菖蒲を刈り、
軒に吊したり菖蒲湯に入ったりして
無病息災の祈願をした。

菖蒲は尚武と音が同じことから、
雛祭りに対して男子の節句として定着した。

このような行事は
季節ごとの農耕生活の節目とも重なり、
人々の健康を守り、
稲の生育から子供の成長に至る
大自然の生生化育に適っているように思われる。

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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