目の前に倒れている人間がいた場合に手を差し伸べるのが人間なんだ 第 2,892 号

1978年にデビューして以来、
「乾杯」「巡恋歌」「とんぼ」など
数々のヒット曲を世に送り出し続けている
シンガーソングライターの長渕剛さん。
その原動力には郷里の大先輩である
稲盛和夫氏の教えがあったと語ります。

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〈長渕〉
稲盛名誉会長からは大事な人生訓を
いつもマンツーマンで聴かせていただいた。
それは僕にとって悦びだった。

心に残っている言葉はたくさんあるが、
やっぱり一番は「人のために生きろ」である。

「自分の命は自分のものではない。
借りものだから、生まれた時より
少しでも魂を美しく磨いてお返しするんだ」

「〝自分、自分、自分〟という生き方には
限度がある。

そうではなくてこの人を喜ばせたいと思った
瞬間から、限度を超えていく」

こういったことはお会いするたびにおっしゃっ
ていたし、僕自身何となく分かるような気がする。
人生を振り返ってみると、悩みや不安、怒り……
そういう自分の想いを叫ばなきゃ生きていけなか
ったから、それを歌にして表現した。

そして、歌を聞いてくれる仲間が欲しかった。
ライブハウスから数をどんどん増やして、
1万、5万、7万、10万人という場所で歌える
ようになった。


僕らミュージシャンは素直じゃないところもある
から、なかなか「おまえのために」なんてことは
小恥ずかしくて言えない。
だけど、結局のところ聞き手がいなきゃ存在理由
がないし、悩んでいる人や生きづらさを感じて
いる人に向けて作詞をしたり歌を歌ったりして
いる気持ちは当然ある。

自己満足だけで終わっちゃ具合が悪い。

これはいまでこそ語れることだが、
東日本大震災から1か月後の4月16日に、
壊滅的な被害を受けた航空自衛隊松島基地を訪れ、
約1500人の隊員を前に激励ライブを決行した
時もそうだった。
10年前の3月11日、街ごと呑み込む大津波に
加えて福島第一原発の爆発事故が起こり、
僕自身も恐怖の真っ只中に突き落とされた。
同時に、心にメラメラと燃えてきたものがある。
それは「何か俺にできないか? と答えを探し
当てたい」ということだ。


(中略)
そして、パッとテレビを見た時に、
「松島基地に行こう!」と思い立ったのである。
そこからは様々な人のご縁が繋がり、
嘘みたいにとんとん拍子で事が運んだ。

大げさに聞こえるかもしれないが、
「命懸けで闘ってる奴らん中に行くなら、
腹切る覚悟で突っ込まなきゃ。
これで彼らの拳が上がらなかったら、
俺は終わりだ、歌い手として失格だ」
と覚悟を決め、ガンガン体を鍛えて、
張りをつくって、ギターを持って
バコーンと松島基地へ向かった。

その時思い出したのは、
「目の前に倒れている人間がいた場合に、
知らん顔する人間と手を差し伸べる人間、
どっちが美しいかと考える間もなく、
手を差し伸べるのが人間なんだ」
という稲盛名誉会長の言葉だった。
そういった教えが僕の潜在意識の中に
打ち込まれていたのかもしれない。

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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