土地の魔力に引きずられ「土地の鬼」となっていった 第 2,915 号

 血の継承にこそ存在意義のある皇室はいうに

及ばず、政財界から芸能界まで、この世は

二世、三世で溢れかえっている。日本人

を惹きつけてやまない血のロマン―。

 しかし、その裏には、末裔のみぞ知る、いや、

末裔ですら知りえない先人たちの波瀾万丈が

あった。注目の人士の家系をたどり、日本

人の血脈意識に斬り込んだ意欲作。

 小泉進次郎、香川照之、中島みゆき、美智子妃――。

政財界、芸能界から皇室まで、注目の人士の家系

をたどった連作ノンフィクション。

 著名人の家系をたどれば、この国の

かたちが見えてくる

西武グループ創業者の堤康次郎は、明治22年、

滋賀県八十荘村に生まれた。生家は貧しい

農家だった。

 堤家は二代続けて、上村家という名家から嫁を

もらい、しかも、その嫁たちは息子を産み落と

すと、どちらも里に戻っているのである。

 この近江の地は、京に近く、また北陸にも東海

地方にも道が通じ、交通の要衝地として早く

から商業が栄えた。

 複雑な政治地勢下で強い勢力を張っていた

のが「近江商人」といわれる、この地方

独特の商人たちである。

 商売にのめり込み、勉強をおろそかにしてきた

堤康次郎だが、早稲田大学の本科に進み、

専門科目を学ぶようになった。

 はじめ康次郎が土地開発を行ったのが、

軽井沢だった。

 大正12年、堤康次郎の土地開発は

東京でも本格化した。

 康次郎は、土地の魔力に引きずられ、

「土地の鬼」「土地の亡者」

となっていった。

 戦争は資産を増やすという意味で、

康次郎にはプラスに働いた。

 関東大震災が起こった際と同じように、

康次郎は焼け跡となった土地を、

次々に買い漁った。

 やがて終戦を迎えたが、土地政策がどうなる

のか分からない中でも、康次郎は、

さらに土地を買った。

 特に戦後、急に生活の基礎を失った元宮家や、

華族たちの本宅や別荘を次々と

買い上げていった。

 これら都心の一等地にあった旧宮家や華族の

邸宅跡地をホテルにして開業したのが、

東京プリンスホテルであり、

高輪プリンスホテルであり、

赤坂プリンスホテルだった。

石井妙子 (著)『日本の血脈。堤康次郎』

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今年も1年「生きる・食」をご愛読いただき、

誠にありがとうございました!

今年の配信はこれが最後となります。

 みなさまどうぞよい年越しを!!

そして佳き年をお迎え下さい。

 来年は1月2日から配信いたします。

来春もどうかよろしくお願い申し上げます。

 今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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