一人ひとりが発する気配が場の空気をつくっていく 第 2,821 号

 ファン待望、ホリイの落語入門がついにお目

見え! なぜ同じ噺を繰り返し聞いても飽き

ないのか。うまい噺家はどこがどう

すごいのか。当代一、落語会・

寄席に通い、噺家すら恐

れる著者だから書けた渾身の落語論。

 落語は基本、融和の芸なり。どこか一部分を

抜き出しても意味はない。

 落語は、テンポが大事なり。先へ先へと進め。

 極論すると、落語家は顔がすべて。

顔は、看板なり。

 「落語は、一人で聞きに来てください」

 志の輔が言った。笑いのツボは、

人それぞれだから。

 落語とは、業の肯定なり。落語の表現は、

人間のおこないすべてである。

 人の行いを論評せず、引き受ける。

それが落語なり。

 落語の全体像なんて、わからない

 観客も落語の一部なり。一人ひとりが発する

気配が、場の空気をつくっていく。

 聞き手は、落語の一部なり。落語の根本は、

場にあり。話ではない

 メモされているようでは、落語は失敗。

祭りの最中に、みこしを担ぎながら、

今の気分をメモする人はいない。

 花火大会のときに、綺麗さをメモする人は

いない。落語も一緒。メモした時点で、

大事なものを取り落す。

 落語の発祥の近いところに、

お坊さんの説教がある。

 落語は、遊びなり。

 究極の落語とは何か。舞台の上に出てきて、

何もしゃべらず、ニコニコしているだけで、

お客さんは喜び、何もしゃべらないまま

降りて、演者もお客さんも満足する。

伝説的名人芸である。

 落語は、和を以って貴しとなす。

 落語は「集団トリップ遊戯」なり。

 落語とは、ライブなり。言葉ではない。

 近代医療より、おばあちゃんのやさしい知恵

のほうが安心する。それが、落語なり。

 落語も、花火と同じ。映像で見ても

おもしろくない。

 落語の基本は、落語家が客に

向かって発する「気」にある。

落語に、「正しい原文」はない。「完全な

基礎テキスト」はない。

 わかりやすいものだけが、人の世ではない。

 落語は、物語ではない。ストーリーもない。

語り物である。

 落語は、体験なり。身体でしか、

感じられない。

 落語の神様は、セリフに宿る。

 落語は「言葉のやりとり」なり。

 落語の芯は、セリフである。

 もっとも無意味なところに、

落語の真髄は宿る。

 落語をテレビで見ても、意味はない。

 その場限りの和を作るのが、落語の目的なり。

 お客さんのご機嫌を気にするのが、落語なり。

 落語家は、客との融和を常に目指している。

 落語は、言葉よりも音のほうが大事。

 人気のある落語家は、声がいい。

 落語は、言葉であり、音楽である。

 いい落語は、心地いい音を出す。

 落語では、ひたすら音だけを聞くと良い。

堀井 憲一郎 (著)『落語論』

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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