「幸運は七度人に訪れる」という諺があります 第 2,846 号

明治から大正、昭和にかけて活躍した
文豪・幸田露伴。数々の名作を生み出す一方で、
『努力論』や『修省論』など、
人生修養のための随筆を
書き残していることはあまり知られていません。

それらを座右に置き、
自身の人生に生かしてこられた
碩学・渡部昇一さん(故人)に、
幸田露伴が説く福を身につける極意を
紐解いていただきました。

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〈渡部〉

「福や運を論ずるのは
あまり高等ではないように思われるが、
人が一所懸命努力したり苦労したりするのは
福を得るためなのだから、
福について考えるのは悪いことではない」

露伴はこう述べます。悪いどころではありません。
福についてしっかりした考えと態度を持つことは、
これこそ人生の要訣です。

露伴は福を身につける三つの道を示します。
「惜福」「分福」「植福」です。

運が巡ってきて福に恵まれます。そこでどう
するか。恵まれた福を使い切らず、
その福の一部を見えないところを巡っている
運にお返しするような気持ちでとっておく。
その心掛けが惜福です。

露伴は母親に新しい着物を
作ってもらった兄弟を例に述べます。
一人は古い着物はまだ着られるのに
行李の底に放り込んで黴だらけにし、新しい
着物を毎日着てたちまち着崩してしまいます。
一人は古い着物は日常着とし、
新しい着物は改まった場で着るようにします。
前者には惜福の工夫がなく、
後者の態度こそ福を惜しむということだ、
と露伴は言っています。

「幸運は七度人に訪れる」という諺があります。
その一方、自分は非運続き、一度も運に恵まれ
なかった、と嘆く人がいます。本当にそうで
しょうか。

七度訪れるかどうかは別にして、仔細に見れば、
運と全く無縁の人などいるはずがありません。
問題は、微かにでも巡ってきた運を感じ取り、
有り難く受け止めることができるかどうかです。
どのようなものであれ、
自分に巡ってきた運を感じ取り、感謝する。
この心が惜福を心掛け、
惜福の工夫をする土台になります。

惜福は自分に来た福をどう扱うか、
言ってみれば自己一身の問題で、
どちらかと言えば福に対処する消極的側面です。
しかし、これだけでは十分ではありません。
自分に来た福を他に及ぼしていく
積極性がなければならない、と露伴は述べます。
それが分福です。

自分に来た福を自分で使い切らず、
いくらかは分けていく。
分福は特に人の上に立つ者にとっては
不可欠の心掛けだと言えましょう。

惜福と分福。この二つは同じように心掛け、
工夫するものであって、どちらか一方に
偏しては自分に来た福をさらに膨らまし、
永続させていくことはできません。
幸田露伴はそのことを……

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