字幕翻訳者として有名な戸田奈津子さん。
その本格的な字幕デビューは43歳の時、
20年間の下積み生活の後でした。
戸田さんは、この下積みの時代を
どのような思いで過ごしていたのでしょうか。
最新号のインタビューで詳しく話されています。
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(──下積みの時代が20年間続いたのですね。)
(戸田)
シノプシスの仕事をするようになってからも、
翻訳や馴れない通訳の仕事を請け負ったり、
いろいろな仕事をしてきましたが、本当に
やりたい字幕の仕事にはなかなかありつけま
せんでした。
字幕のデビュー作は、
小さなドキュメンタリー作品を別にすれば、
1970年公開の『野性の少年』という映画です。
だけど、まだ一人前として認められたわけでは
なく、字幕の仕事は年に1、2本で、
鳴かず飛ばずの状態が何年も続きました。
(──辞めようとは、思われませんでしたか。)
(戸田)
辞めようと思ったことは一度もないですね。
他に魅力ある仕事は何も見つからなかったし、
自分にはこの道しかないと思っていました。
人間の感情の中で「好き」という感情ほど強い
ものはありません。
その頃、日本は高度成長期でしたから割合景気も
よくて、どんなに食べられなくてもホームレスに
なれば生きていけるという思いはどこかに
ありました。
底辺をいつも見ていたように思います。
20年間の下積みといっても私自身は
そんなに苦労したとは思っていません。
他の人だったら20年間も仕事がなかったら、
どん底まで落ち込むことがあるかもしれない。
たまたま私はそういう心の持ち方、
考え方をしなかったということです。
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今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。感謝!