高橋は教師時代に得た知識で激動の時代を駆け抜けていく 第 2,781 号

 古くから、「酒」は人間関係を紡ぐ潤滑油と

され、時の為政者は、酒を勧める会食・宴席

を重視した。その一方で、飲み過ぎて周囲

の信頼を損ねたエリツィンや酒をやめら

れずに命を落としたムスタファ・ケ

マルなど、酒によってその地位を

危うくしたり失う者もいた。

 歴史を動かしてきた政治家たちはいかに酒を

飲んだのか。古今東西の政治家と酒にまつわ

る、奇想天外なエピソードをユーモラスに

つづる。酒は友好の道具であるが、飲み

すぎれば身体を冒す毒となる。政治家

たちはよくも悪くも酒と上手く

付き合ってきたのだ。

 とくに政治の世界では立身出世のために会合

を開き、同胞、そして時には政敵とも酒を酌

み交わす。世界を大きく動かした政治家の

中には、酒癖の悪い者も多くいた。

 高橋是清に勝るとも劣らない酒豪が田中角栄

だ。彼は酒席で人心を掌握する天才だった。

 若い頃は一日10件以上の宴席に顔を出し、

多忙を極めた通商産業大臣時代も一日3件

の会合に出ていたというから驚きだ。

 角栄は主賓であっても決して偉そうにせず、

一人一人にお酌をし、相手の懐へするり

と飛び込まんとした。

 そのために数え切れないほど盃を交わす角栄

は、あらかじめ店側に小さい盃を用意させて

いたという。さすがは宴席の達人である。

 日銀総裁、大蔵大臣、総理大臣を歴任した

高橋是清も酒豪として知られる。

 彼の酒癖が悪化したのは、なんと17歳の頃。

知人に連れられた茶屋がきっかけだった。

 アメリカで学んだ英語を生かし、大学南校で

教授手伝いをするほどのエリートだったが、

芸者遊びを覚えてからは放蕩を繰り返し、

学校を欠勤するようになった。

 ある日、芸者と昼から痛飲している現場を

目撃された高橋は、自ら辞職願いを出す

ハメに。その後、無職の一文無しに

なった彼は芸者の家に転がり込んだ。

 そんなヒモ生活を続けるわけにはいかない

と思ったのか、高橋は唐津藩の英語学校で

教師となる。だが、再び鯨飲の日々が始

まる。高橋はこの頃、一日3升の酒を

毎日飲んでいたという。

 酒の肴は決まって鳥鍋で、近くの村落で鳥を

買い、毎日二羽ずつ調理していた。けれど、

酒に溺れていたわけではなかった。飲み

会後の深夜、高橋は必ず3時間以上を

漢学の勉強に充てていたという。

 高橋はのちに、教師時代に得た知識で、

激動の時代を駆け抜けていく。

栗下 直也 (著)『政治家の酒癖。

  世界を動かしてきた酒飲みたち』

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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