記憶の中に古きよき日本の面影は生き続けていたように思います 第 2,557 号

天孫降臨にゆかりのある宮崎県・高千穂。
いまから約1,900年前、垂仁天皇の時代に創建
され、高千穂八十八社の総社として鎮座するのが
高千穂神社です。

その高千穂神社の後藤俊彦宮司による『致知』
の新連載が10月号からスタートしました。
後藤宮司は神社界最高位の称号「長老」を
授与された方でもあります。
本誌「巻頭の言葉」のレギュラー執筆陣として
3か月に一度、ご登場いただきます。

ここでは「不易と流行」と題してご執筆いただ
いた文章の一部をご紹介します。

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(後藤)

このたび『致知』編集部より
「巻頭の言葉」執筆の依頼を受けました
高千穂神社宮司の後藤俊彦と申します。

『致知』は斯界における月刊誌の中でも、
毎回社会の様々な分野で活躍され
優れた実績を残しておられる方々が登場され、
誌面を通してその謦咳に接することは
得難い機会であり、歓びでもあります。

『致知』と私の出会いはかなり古いものと思い
ますが、一時期購読を中断していたこともあり、
再び購読を始めて十年近くになりました。

私は第二次世界大戦終戦の昭和二十年十一月に
宮崎県の高千穂町に生まれました。
従って、私の人生と戦後日本の歴史は
ちょうど重なっております。

敗戦後の占領政策によって
戦前と戦後の我が国の国民思想と国家形態は
大きく変わりました。
縄文時代を含め、わが国の三千年を
はるかに超える長い歴史を経て築きあげてきた
様々な文化的・歴史的価値観は、
すべて〝封建的価値観〟として否定され、
個人の自由と人権を重視するアメリカ
民主主義が新時代の教育の理念とされました。

一方で、人民の楽園として喧伝されていた
社会主義思想に憧れて国家の理想とする人々も
多くいました。

この二つの思想に共通していることは
わが国の歴史に否定的で、
反伝統的な感情にあったように思います。

私も多感な青少年時代に
その影響をうけた一人でありますが、
幸いにも自分が生を享けた日本という国を
愛する気持ちを失うことはありませんでした。

「不易流行」という言葉がありますが、
幼い時に読んだ書物や感化を受けた人々の
記憶の中に古きよき日本の面影は
生き続けていたように思います。

※続きは誌面でお読みください。

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 今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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