自分達の生の意義を自問自答していたと実感するのだ = 2-1 = 第1,477号

2019/08/07 (水) 19:00

 あなたには命をかけて守るものがありますか。

特別攻撃作戦は、大東亜戦争末期に戦局挽回

のために採用された十死零生ともいえる

体当たり戦法である。当事者、遺族、

関係者を国内外で幅広く取材し、

国家と個人の関係を追求したノンフィクション。

 平成8年、31歳のとき、不規則な仕事などの

影響もあって、体調を崩した。命に関わり

はない病気とはいえ、精神的にも肉体

的にもつらい毎日に、日々泣きな

がら過ごし、「こんな風に生

きているくらいなら、死

んだほうがましだ」とさえ考えた。

 そんな状況で手にしたのが、特攻隊員の遺書

や日記を集めた本だった。読みながら、あと

からあとから溢れる涙を抑えることがで

きなかった。祖国のために殉ずると

いう決意のもと、若く健康であり

ながら眼前に迫っている死を

見つめて書かれた彼らの

日記や遺書は、私が

これまで読んだ

どんな書物よりも力強く、切なく、つらかった。

 一方で、私は涙をこぼしながら、雨が、なか

るみの泥を流していくかのごとく、自分

の心が澄んでいくのを感じた。

 人間が生きているか、死んでいるかを区別

するのは魂であり、精神である。私が真剣

に特攻隊の遺書に対峙したとき、むしろ

私は死んでおり、特攻隊員たちは生き

ているとも思った。

 魂や精神性のなさ、これは戦後の日本社会が

抱えてきた状況であると、昨今つくづく思う。

 他人を思いやる気持ち、家族や国を思う

気持ちが年々なくなってきている

のではないだろうか。

 過去、現在、未来と続く歴史軸の中に自分が

生かされているのを感じて、礎を築いた人々

に感謝すること、そして、今ある現在を

価値ある未来へと繋げていくことを

我々一人一人が真剣に考えて行動

するべきである。特攻隊の資料

にふれ取材するたびに、そう思う。

 特攻隊員達は、生と死との思いを日々感じ

ながらも、明るく朗らかにいつも変わり

なく規則正しい毎日を生きていた。

 「出撃の時は完全な体調で」と健康診断を

受け食事に気を配った。書道、茶道、

音楽を嗜む人もいた。

 研ぎ澄まされる感受性。隊員達は、残された

時間の一瞬一瞬を大切に生き、食事をする

ときでもどんな時でも「これが最後かも

しれない」という気持ちで、厳粛に

「時間」に対峙していた。

 彼らは暇があると、日記や手紙を書いた。

何も書くことはなくとも、とにかく軍

隊生活の毎日を記録しておくことで、

生きているという痕跡を残したい

と考えたからである。「具体的

に自己を表現し得るのは、今

の生活にあってこの日記

だけなのだ」と、ある

隊員は書き残している。

 鹿児島県知覧の知覧特攻平和会館に残されて

いる特攻隊員の遺影。そこには、まるで晩年

の人物だけが待ちうるような穏やかで、満

ち足りた充足感、悟りの境地にも似た澄

み切った表情が数多く並んでいる。

 とりわけ真剣さと、凛とした気概が感じら

れるものは、出撃の際の出陣式、そして

水盃を交わす光景だ。敬礼をして

まっすぐ前を見つめる眼差し

の先にあるものは何か。

 一人一人が並々ならぬ決意を秘めた、引き締

まった表情をしている。しかし、決して力

んでなどいない。端正で清冽な表情だ。

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 今回も最後までお読みくださり、

       ありがとうございました。感謝!

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