死者と生者のかけがえのない和解のひと時 第 2,637 号

新美南吉の『ごんぎつね』は
人々によく知られた童話です。

文学博士でシスターの鈴木秀子先生は
『致知』12月号(最新号)の
連載「人生を照らす言葉」にて
この作品から読み解ける人生の知恵について
ご紹介くださっています。
その一つが人間誰にでも訪れる
死との向き合い方です。

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(鈴木)

『ごんぎつね』の最後は、
裏口からこっそり家の中に入った
ごんが兵十に見つかり、
火縄銃で撃たれてしまう場面です。

…………………………………………………

そして足音をしのばせてちかよって、
今戸口を出ようとするごんを、
ドンと、うちました。
ごんは、ばたりとたおれました。
兵十はかけよって来ました。
家の中を見ると土間に栗が、
かためておいてあるのが目につきました。

「おや。」と兵十は、
びっくりしてごんに目を落としました。

「ごん、お前だったのか。
いつも栗をくれたのは。」

ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、
うなずきました。

…………………………………………………

悲しい結末ですが、兵十はようやく
ごんの真心に気づき、和解することが
できました。


この童話を通して兵十とごんが
伝えてくれているのは、
完全な善人でいることができない人間が
その弱さや誤解、葛藤などを乗り越えて
相手を思いやる力を発揮していく
素晴らしさです。


ごんは自分に銃を向けた兵十に対して
恨みを抱くことはありませんでした。
兵十にはごんを殺してしまったことへの
後悔の思いが続いたことでしょう。
しかし、そこで生まれた友情は
兵十の心の種火となって、その後の生きて
いく力になったに違いありません。

人生を締め括るに当たっての、
死者と生者のかけがえのない和解のひと時。
これを私は「仲良し時間」と呼んでいます。
私たち人間は死が近づいてくると、
人生で縁のあった人たちへの感謝や
相手を大切に思う気持ちを
表現せずにはいられなくなるといいます。

病床で気力すらなかった人たちが
苦しい息の底から
「いい家族が与えられて幸せだった」
「皆のおかげだ。ありがとう」と口にしたり、
意識がなかった人が微笑みかけたり、
表現は人それぞれですが、
愛と感謝の思いを伝えようとします。

(中略)

いずれのケースにしろ、
後で振り返ってあの時が「仲良し時間」
だったのだ、と気づくことが多く、
最期に大切な時間を共有することによって
様々なわだかまりや恨みが解消されて
いくのです。


★鈴木先生の「人生を照らす言葉」は
古今の文学作品などを通して
深い人生の知恵を学ぶことのできる連載です。

致知出版社の人間力メルマガ

  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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