かめは頂上.人生の目標だけを見つめて歩き続けた 第 2,419 号

ベストセラー書籍、待望の第2弾

本日は、1月25日のページに掲載されている、
落語家・三遊亭圓歌氏の
「うさぎはなぜかめに負けたのか」という
お話をご紹介いたします。

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「うさぎはなぜかめに負けたのか」

  四代目 三遊亭圓歌(落語家)

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私が、笑いを交えながら人生や経営、子育てなど
について、私なりの考えを盛り込んだ、いまの
落語や講演のスタイルを確立したきっかけを
与えてもらったのは、遠縁に当たる
ジュポン化粧品本舗の故養田実社長です。


養田社長は若いころ、柳亭痴楽師匠に弟子入りし、
落語家を目指した経歴の持ち主だけに、私の
気持ちをよく理解してもらい、「これからの時代、
落語だけで食べていくのは難しいから、半分は
落語、半分は講演にして企業を回ってみたら
どうか」と、いろいろな異業種交流会などに
連れていってくださったのです。


私はここで学んだ多くの経営者の言葉や、本で
読んだ中村天風、森信三、石川洋といった
先哲の言葉にヒントを得ながら、それを
どう落語家の自分なりに消化し、人々を笑わせ、
元気づけていけるかということに
知恵を絞りました。

古典落語を基礎にこれらを取り入れた私の
芸風の確立は、すなわち私の人生観の
確立でもありました。


養田社長から教わった忘れられない
話があります。

私が真打ちになったのは昭和62年5月。

林家こぶ平さんと一緒の昇進でした。

真打ちが発表されると、二人がいる部屋に
一斉にマスコミが押し寄せたのです。

ところが、フラッシュを浴びたのはこぶ平さん
だけ。数メートル横に私がいたのですが、
どこの社も見向いてもくれませんでした。

考えてみれば、こぶ平さんは正蔵、三平と続いた
サラブレッド、一方の私は、いわば落語界
には何の縁もない田舎生まれ、田舎育ちの
駄馬でした。


私はくやしくて涙を抑えられなくなって走って
外に飛び出し、電車に乗りました。
そこに偶然にも養田社長がいたのです。


「歌さん(※当時は三遊亭歌之介)、
浮かぬ顔してどうしたんだ」

と聞かれ、私は理由を話しました。
すると養田社長はこう切り出したのです。

「うさぎとかめの童話があるだろう。うさぎは、
うさぎは、どうしてのろまなかめに負けたのか。
言ってごらん」

私は答えました。

「うさぎにはいつでも勝てると油断があったの
です。人生は油断をしてはいけないという
戒めです」と。


養田社長は

「本当にそう思っていたのか。零点の答えだ」

と語気を強めて、静かにこのように話したのです。

「かめにとって相手はうさぎでもライオンでも
 何でもよかったはずだ。なぜなら
 かめは一遍も相手を見ていないんだよ。

 かめは旗の立っている頂上、つまり人生の
 目標だけを見つめて歩き続けた。

 一方のうさぎはどうだ、

 絶えずかめのことばかり気にして、
 大切な人生の目標をたった一度も
 考えることをしなかったんだよ。

 君の人生目標は、こぶ平君ではないはずだ。
 賢いかめになって歩き続けなさい」


さらに養田社長は言葉を続けました。

「どんな急な坂道があっても止まってはだめだよ。
 苦しいときにはああ何と有り難い急な坂道
 なんだ、この坂道は俺を鍛えてくれている
 ではないか、と感謝しなさい。

 有り難いというのは難が有るから
 有り難いんだよ」と。


私は社長のこの一言で迷いが吹っ切れたのです。
そして、自分の人生の目標に向かって黙々と
歩き続けよう、と思ったのです。

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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