自分が歩く道を慈しみながら生きることが大切だと思います 第 2,168 号

40年にわたり禅の道を歩んできた臨済宗円覚寺
派管長・横田南嶺(よこた・なんれい)さんと、
天台宗圓融寺住職・阿純章(おか・じゅんしょう)
さん。それぞれの道で真理を追求してきたお二人
に、私たち現代人がよりよく生きるヒントを
語り合っていただきました。

───────────────────

〈阿〉
きょうはせっかく横田老師にお目にかかったので、
私が一番好きな禅語についてもお話ししたいと
思います。それはたった2文字、「恰好」と
いう言葉なんです。


横田老師もご存じのとおり『趙州録』に出てくる
言葉で、趙州老師が弟子から「大困難が訪れた時
に老師はどうなさいますか?」と問われた時、

「恰好!」(よしきた!)と答えたそうですね。

どんなことが起きても「よしきた! 自分に
ピッタリの困難がやってきたぞ」と受け止めて
生きる。この言葉を私は大切にしています。

〈横田〉 
恰好、よしきたと。まさに人生の極意ですね。

〈阿〉 
その言葉から思い出すのは、はじめ塾という私塾
を創始された和田重正さんの本に出てくる鳶職
の方のお話です。


鳶職でも間違って木から落ちてしまうことがたま
にあるそうなんですが、そんな時は自分から
降りてしまうんだと。

怖いと思って目を背けると怪我をするけれども、
自分から降りて地面から目を離さないでいると、
怪我が少なくてすむというんです。
それはまさに「よしきた!」という気持ちにも
通じるお話ではないかと思うんです。

 
ですから私も、何か大変なことが起きたら、
たとえ不安でいっぱいでも、「よしきた!」と
いう気持ちで向かっていこうと思っているんです。

〈横田〉 
見事な覚悟です。人間の花というのは、
そういうところに咲いていくんですよ。

〈阿〉
花を見ると、花びらしか花ではないと思って
しまいがちです。しかし本当は、茎があって、
葉っぱがあって、地面、太陽があって初めて
花があるわけで、すべての条件が揃って

いなければ花は咲きません。

花びらだけでなく、宇宙のあらゆるものに同じ
価値があって、その中の一つとして花びらも
あると思うんです。

 
人間も同じで、人生の局面の一つひとつも何か
の手段だと思うと取るに足らないものに見えて
しまいますけど、それも美しい人間の花の大切
な一つだと思って、いま自分が歩いているこの

一歩一歩を慈しみながら生きていくことが
大切だと思います。


〈横田〉
それが自分という人間を深めていく歩みにも
なりますからね。


※本記事は月刊『致知』2018年7月号 特集『人間
の花』より一部を抜粋・編集したものです。


★『致知』最新号には横田南嶺師と阿純章師が
ご登場。詳細はこちら 

  今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝!

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