腕を見せては「これは丸ちゃんという名前なの」と明るく笑いました = 2-1 = 第 2,193 号

愛に満ちた言葉はその人の人生を大きく変える。
このことを道元禅師は「愛語」の二字で表現し
ました。

仏教の教えを分かりやすい言葉で説くことで
定評がある曹洞宗長徳寺住職の酒井大岳さんに、
地元・群馬県吾妻郡の高校で書道講師をしていた
若かりし時の逸話を交えながら、「愛語」の
力についてお話しいただきます。


───────────────────

〈酒井〉
ある書道の時間のことです。教壇から見ている
と、筆の持ち方がおかしい女子生徒がいました。
傍に寄って「その持ち方は違うよ」と言おうと
した私は咄嗟にその言葉を呑み込みました。

彼女の右手は義手だったのです。「大変だろう
けど頑張ってね」と自然に言葉を変えた私に
「はい、ありがどうございます」と明るく
爽やかな答えを返してくれました。


彼女は湯島今日子(仮名)といいます。
ハンディがあることを感じさせないくらい勉強
もスポーツも掃除も見事にこなす子でした。
もちろん、書道の腕前もなかなかのものでした。


3年生の時の運動会で、彼女は皆と一緒にダンス
に出場していました。1メートルほどの青い布
を左右の手に巧みに持ち替えながら、音楽に
合わせて踊る姿に感動を抑えられなかった私は、
彼女に手紙を書きました。


「きょうのダンスは一際見事だった。校長先生も
いたく感動していた。

私たちが知らないところでどんな苦労があった
のか、あの布捌きの秘密を私たちに教えて
ほしい」という内容です。


4日後、彼女から便箋17枚にも及ぶ手紙が
届きました。

ダンスの布については義手の親指と人差し指の間
に両面テープを張って持ち替えていたとのことで、
「先生のところまでは届かなかったかもしれま
せんが、テープから布が離れる時、ジュッという
音がしていました。その音は私にしか聞こえない
寂しい音です」と書かれてありました。


「寂しい音」。

この言葉に私は心の奥に秘めた人に言えない
彼女の苦しみを見た思いがしました。


17枚の便箋に書かれてあったのはそれだけでは
ありません。そこには生まれてから今日まで
彼女が生きてきた道が綿々と綴られていました。


***

彼女が右手を失ったのは3歳の時でした。
家族が目を離した隙に囲炉裏に落ちて
手が焼けてしまったのです。

切断手術をする度に腕が短くなり、最後に
肘と肩の中間の位置くらいから義手を
取り付けなくてはならなくなりました。

彼女は、小学校入学までの3年間、事故や病気
で体が不自由になった子供たちの施設に預け
られることになりました。

「友達と仲良くするんだよ」と言って去った両親
の後ろ姿をニコニコと笑顔で見送った後、施設の
中で3日間泣き通したといいます。

しかし、それ以降は一度も泣くことなく、
仲間とともに3年間を過ごすのです。


そして、いよいよ施設を出る時、庭の隅にある
大きな銀杏の木にぽっかり空いた洞の中で、
園長先生が彼女を膝に乗せて次のような話を
されました。

長くなり 2-2 に続きます


(本記事は月刊『致知』2013年10月号
特集「一言よく人を活かす」より
「道元禅師の愛語の心に学ぶ」から一部
抜粋・編集したものです)

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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