最初はいくつか失敗もしたようですがそれを見事に立て直した 第 268 号

 いまや世界を代表するサーカスになった

創業114年の木下サーカス。

 現在、大阪で公演中ですが、

その知られざる歴史を本日ご紹介します!

────────[今日の注目の人]───

★ 渾身これ慈悲の人 ★

木下 唯志(木下サーカス社長)

───────────────────

──木下サーカスは今年創業114年

  ということで、大変な歴史を

  お持ちですね。

 木下サーカスの歴史について簡単に申し上げると、

初代木下唯助は香川県丸亀市出身で、叔父の

矢野岩太が経営していた移動動物園の

手伝いをしていました。

 ですから、若い頃から様々な動物と

一緒の生活を送っていたんです。

 そのおかげか動物の調教がとてもうまく、

興行師としての采配もなかなかのもので、

その才覚を買われて、岡山を基盤に

劇場関係の興行を行っていた

木下家に、二十歳で養子

に迎えられました。

 ところが当時の木下家は、当主の木下藤十郎が

演芸興行に手を広げ過ぎたために経営は火の車。

 それを見事に立て直したのが唯助でした。

──経営の手腕がおありだったと。

 最初はいくつか失敗もしたようですが、

明治35年に軽業一座を組織して遼東

半島にある大連で旗揚げしたのが

木下サーカスでした。

 当時、大連はロシアの租借地ですから、

相当勇気のいることだったと思うの

ですが、サーカス好きのロシア人

には随分と歓迎されたようですね。

(略)

 とにかく唯助の芸への熱は目を見張る

ばかりで、空中ブランコを取り入れた

のも大陸巡業中のことでした。

 それに自ら馬を調教して馬上剣舞を披露したり、

冬の夜にアシカと一緒に底冷えする床に寝る

ことでその習性を覚え、芸を教え込む

などしていたんですよ。

──大変な熱の注ぎようですね。

その熱心さは……

※約28年に多額の負債を抱え、倒産の危機に

直面した木下サーカス。

 その苦境を脱する立役者となった4代目

社長・木下唯志さんの

 お話の続きは本誌でどうぞ!

『致知』2016年6月号  特集「関を越える」P40

  今回も最後までお読みくださり、ありがとう

              ございました。 感謝!

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