誹謗中傷にさらされている人物を弁護するのは難しい 第1,728号

 「松岡外交が太平洋戦争の引き金を引いた

元凶だ! 」というのが、昭和史を読む上で

の“お約束”の理解であった。だが、事実

を調べていくと安易にその理解に従っ

ては間違えるのではないかという

疑いが出てくる。

 本書は、従来から、「松岡外交」の真意を

探ってきた著者が、満を持して書下ろした、

定説への挑戦状である。松岡洋右は、「

自分の最大目的は、日米戦争を避ける

ことにある」と常に言っていた。

京裁判の初期に死亡したことに

より、「罪を一身に背負わ

された」観も強い。

 松岡を、外交家としての大構想と大戦略を

持っていた人物とする著者の、「歴史へ

の反対弁論」が熱く展開される。

 佐藤栄作元首相は、松岡洋右を偲んで

次のように発言している。

 ♠「私が最も尊敬する歴史上の人物は、吉田

松陰と松岡洋右だ。とりわけ松岡洋右は政治

家としての資質において、その右に出る者

がない。先見の明と物事の本質を一瞬で

見抜く洞察力と堅忍不抜の行動力

は天賦のものだ」

 松岡洋右について従来語り伝えられてきた

誤ったイメージを是正し、松岡外交を正し

く認識し直すべき時期に、いまわれわれ

は来ているのではないだろうか。

 松岡の最終目標は、アメリカとの戦争を回避

することだった。「アメリカとだけは戦って

はならない。アメリカと戦えば日本は100

%負ける」。これが松岡の持論だった。

 三国同盟も日ソ中立条約も、アメリカ

との戦争を回避するために松岡

の打った布石だった。

 それによってさらには、シナ事変をも

解決しようとしたのである。

 この最終目標を実現するためなら、ドイツ

やソ連などいつでも切り捨ててかまわない。

これが松岡洋右の大構想と大戦略だった。

 世間で悪評を買っていたり、あるいは諸悪

の根源として誹謗中傷にさらされている

人物を弁護するのは難しい。

 とりわけそれが、敗戦や革命といった歴史を

画した大事件に際し、国家の崩壊と運命を

ともにした、責任ある地位にあった人

間の場合はなおさらそうである。

 ある人物の、一度定着し固定してしまった

イメージを覆すのは、至難の業であるばか

りでなく、しばしば大きな勇気を必要とする。

 「すべての罪を松岡へ」。これは松岡洋右

の死後、市ヶ谷の東京裁判法廷で裁きを

受けていたA級戦犯たちの、暗黙

の合い言葉となっていた。

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 今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝!

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