詩織からも「機械になってまで生きるのは嫌や!」 第 2,748 号

5年後の生存率0%という悪性小児がんが
堀内詩織さんを突如襲ったのは、2003年3歳
の時でした。

しかし、母・志保さんの懸命な介護、
そして地元・高知のお祭りで「よさこい」を
踊りたいという強い思いを胸に、
詩織さんは辛い抗がん剤治療に耐え、様々な
人生の苦難を乗り越え、現在に至っています。

医学の常識を覆し、
20歳を超えて生きる詩織さんの姿は、
人間の生きる力と、意志の及ぼす力の
いかに大きいかを教えてくれます。

…………………………………………

(本誌)
志保さんに、小児がんを発症した詩織さん(当時
10歳)との壮絶な闘病の日々を語っていただいた
弊誌2010年12月号の記事には、
全国からたくさんの感動の声が寄せられました。

あれから早13年が経ちましたが、
まず近況からお話しいただけますか。

(志保) 
13年前に取材していただいてから、
何年後だったでしょうか。
心臓にも悪いところが見つかりまして……。
娘が「よさこい」を踊るようになったきっかけ
は後にお話ししますけれども、地元・高知の
交流事業で韓国へよさこいを踊りに行った際、
突然倒れて心臓が止まってしまったんです。

5分ほど意識が戻らず、現地の病院に
駆け込んだものの、明確な診断は
なく、結局一泊して日本に戻りました。

詩織は韓国に行く前から調子が悪くて、検査は
してはいたのですが、最終的に心臓に病気が
見つかり、15歳の時にICD(植込み型
除細動器)の手術を行うことになりました。

で、障害者手帳をもらって、
いまも狭心症の薬を毎日飲んでいますし、
2か月に1回は医科大に通い、
ICDも何年かに一度は電池を
入れ替える手術をしなければいけません。

車の免許を取るにも医師の診断書が必要で、
空港の探知機など強い電磁波を発する機器にも
近寄れないんです。

ですから、小児がんは再発しなかったものの、
新たに心臓の病気が出てきて、お医者さん
との縁は一生切れなくなってしまいました。

(本誌) 
前回の取材後も試練の日々が続いていたの
ですね。詩織さんは、ご自身の心臓の病気を
どのように受け止められたのですか。

(詩織) 
まず、小児がんの時の手術に加えて、体の傷が
さらに増えるのが嫌でしたし、いままで以上に
日常生活が制限されるのは本当に辛つらいこと
でした。

正直、ICDを入れてまで、生きなあかんのか
なって……。それでも手術を決心できたのは、
まだ生きてよさこいを踊りたいという気持ち、
母の支えがあったからだと思います。

(志保) 
心臓の手術は親として本当に悩みました。
詩織からも「機械になってまで生きるのは嫌や!」
「お母さんに私の気持ちは分からん!」って
言われました。

(詩織) 
反抗期ではないですけれども、
この時が人生で一番母と言い合いをしました。
そんなことを母に言ったのは初めてで、
それほど心臓の手術は辛かったんです。

(志保) 
けれども、私が「せっかく……

★この後、壮絶な闘病体験から
母子が掴んだ人生の要諦をお話いただきます。]
本対談には、

●終わらなかった試練の日々
●成人式で20年目の親孝行
●3歳で突然のがん宣告
●我が子のためには何でもやる覚悟
●人間は乗り越えられる試練しか与えられない

★生きるとは何か、人が幸せに生きとは――
志保さんと詩織さん、
母子の感動実話はこちら 

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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