長期的に継続される粘り強い情報活動のみが成果をあげる 第 456号

 完倉壽郎(ししくら・じゅろう)氏は、

関東軍の情報参謀であった。

 戦後は、ソ連の研究家となる。

 1984年、韓国の情報関係者が完倉氏を

ソウルに招いた。

 完倉氏は非公開の研究会で、何も見ないで

シベリア鉄道やウラジオストク港などの情報

を詳しく語り、韓国の参加者を驚かせた――。

 1943年 3月から 45年 3月までの2年間、関東軍

情報参謀であった私に、この軍に対する身びいき

的な観念が絶無ではないことは否定しない。

 しかし、冷静公平に見て、関東軍が、大東亜戦争

末期の特殊な状況下において、極東ソ連軍と堂々

と雌雄を争う決戦を実行することはできなかった

が、その情報勤務においては、現代の基準から

見ても、かなりの成果をあげていたといえる。

 極東方面ソ連軍の組織、兵団数、番号、編制などは、

これらに関する戦後のソ連公刊資料と照合しても、

かなり正確につかんでいたし、ソ連軍の満州

侵攻時機に関しても、昭和19年には

ほぼ正確に予測していた。

 本書で私は、情報勤務を中心として、大東亜戦争

の裏方としての関東軍参謀部の活動に、

光をあててみることにした。

 相当な成果をあげていたわが関東軍の情報活動の

実際を、この世に残しておきたいという私の

ささやかな願望である。

 当時大いに活躍した人々の多くは、シベリア抑留中に、

あるいは帰国後死去せられ、今では関東軍情報活動

の現場にいた人は、非常に少なくなった。

 情報勤務は戦闘行動とは違って、平時が戦時である。

 平時において、相手国軍の編制、装備、戦法、兵力、

陣地設備、補給能力、兵器性能、軍民関係などを

常に明らかにしておかなければ、作戦の遂行

はもちろん、その計画を立てることも

できないことは自明の理である。

 関東軍は、伝統を持つ精鋭兵団のすべてを、

南方に送り出した。

 ソ連はいつ頃、どのような形で侵攻して来るのか。

 そして、それをいかにして阻止すべきか。

 昭和19年になると、極東ソ連軍の対日作戦準備

状況を正確に把握することが、以前にも

増して重要になってきた。

 開戦以来、単なる兵員養成基地の観があった

関東軍の役割が、再び戦争の行方を決める

可能性が強くなってきた。

 われわれは前より以上に、対ソ情報収集と

その作戦準備状況の把握に、全力を

あげることになった。

 昭和19年(1944)当時の関東軍の活動の

中心は情報収集であった。

 南方での激戦に対して、これは地味な仕事であり、

これまで歴史の俎上には、ほとんどのぼらなかった。

 しかし、秘密主義国ソ連と対峙し、我が国の大東亜

戦争の遂行に大きく貢献している満州の防衛に

とって、情報収集ほど大切なことはなく、

関東軍は世界に冠たる組織をもって

この仕事に当たっていたのである。

 関東軍の場合、「特務機関」とは関東軍情報部

および同支部の俗称であって、軍の重要な

情報収集、訓練機関であった。

 関東軍情報部は総司令官の直接指揮下にあり、

本部をハルビンに、支部を大連、奉天その他

国境方面10数か所に置いていた。

 関東軍情報部の情報活動の特色は、ソ連

軍・民関係情報収集のため、多くの人員

で莫大なソ連公刊文書の分析、

検討を行っていたこと。

 また密偵の使用、戦時における宣伝、

謀略の準備であった。

 秘密主義の国ソ連に対しては、長期にわたる各種

文書資料の綿密周到な分析検討が、この国の

実体を知るための重要な基礎手段である。

 これと同時に、熟練した情報勤務者が

その目で現実の状況を視ることも、

極めて肝要な手段である。

 まさに百聞は一見に如かずであり、とくに

昭和19年頃にように変動の激しい時期に

おいては然りであった。

 その意味においてソ連を通過する旅行者の

報告は、関東軍の情報活動にとっては

軽視しえないものであった。

 ある旅行者の報告それ自体を単独で採り上げ

たのでは、大きな価値を見いだせないかも

しれないが、他の情報資料との総合、

 あるいは長期にわたる各種資料との照合の際、

重大な意義を持つことになる。

 わが国の多くの人々、特に、いわゆる知識階級と

いわれる人々の中には、陸軍、とくに関東軍が、

ソ連軍の満州侵攻を全く知らず、不意を

打たれて完全奇襲を受けたかのように

考えている人が少なくないが、

事実は全くそうではない。

 戦略的には、奇襲を受けたことになるが、

関東軍は、かなり正確に、極東ソ連軍の

実力、規模と行動を把握していた。

 1945年 5月にドイツが降伏すると、ソ連参戦は

ほとんど確定的となり、どのような機会を利用

するか、いかなる口実を設けるかが

残された問題と思われた。

 5、6月には東京でも新京でも、ソ連の参戦近し

ということで一致していた。

 しかし中には、ソ連はまだ出て来ないと

考える人もいた。

 社会主義国の秘密主義はその特性のひとつだ。

 このような国の、特に秘密の壁が厚くて高く、

かつ固い軍事の分野では、長期的に継続

される粘り強い情報活動のみが、

成果をあげることができる。

 価値ある情報資料の90%以上が埋蔵されている

これらの国の公刊資料を、長期にわたって、

綿密仔細に分析検討することが、情報

活動の基本的第一である。

 そして、これを現地、現物によって

確かめることが第二である。

 完倉壽郎『関東軍参謀部』

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 今回も最後までお読みくださり、ありがとう

              ございました。感謝!

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