資源もない・金もない・情報もない・技術もない = 2-1 = 第 2,644 号

 年齢を重ねて、さらに輝きを増す生き方とは

どのようなものか――。凜々しく、清々しい

晩年を送った先達の人生から、良い生き方

を学ぶ好読み物。

 人生100年時代を迎えるにあたり、シニア世代

となってから、どのように生きるかは私たちに

とって大きな課題となります。本書は老齢

となっても活躍した人々のドラマをオム

ニバス形式で描きます。

 経済人、政治家など、立場は違えど人生終盤

に輝く人々には、地位や権力、金などに執着

せず、柔軟な精神をもってことにあたるな

ど共通点も多くあります。その凜々しく、

清々しい人生の物語は読む者の心を

動かします。

 107歳まで彫刻や墨書を創作し続けた平櫛田中

は「60.70歳は鼻たれ小僧。男盛りは100歳

から」との言葉を残し、生涯現役だった。

 世のため、人のために尽くし、年齢を重ねる

ごとに、さらに輝きを増すような生き方とは、

一体どのようなものであろうかと考え、私

はそれを探るために、美しい晩年を送っ

た先達を訪ねて、長い旅に出た。

 そこで出会った、輝かしく晩節を全うした人た

ちの、奇跡の逆転物語を本書で紹介したい。

 98歳で亡くなるまで生涯現役を貫いた作家の

宇野千代も「何歳になってもヨーイドン

(出発)できる。私はヨーイドン教

の教祖なのよ」と書いた。

 渋沢栄一は「人の生涯を重くするか、軽くする

かは、一にその晩年にある。人は晩年が立派で

ありさえすれば、若いうちに多少の欠点が

あっても、世間はこれを許してくれる。

私は輝かしい晩年を社会貢献をもっ

て締めくくりたい」と書き残している。

 1858年、御木本幸吉は三重県鳥羽でうどん屋

の長男に生まれた。1878年、20歳の時、当時、

東海道はまだ鉄道が開通していなかったため、

なんと徒歩で11日かけて上京し、文明開化

の風が吹く東京や横浜、横須賀などの異

人街で2ケ月間にわたって商売と

新知識の勉強をした。

 商才に長けた幸吉は異人街で見た真珠の人気

に目を見張り、人工真珠の養殖を思い

立ったのである。

 幸吉が独力で三重県のへんぴな海辺で真珠養殖

を志してから17年、「資源もない」「金もない」

「情報もない」「技術もない」の「ないない

づくし」の環境で、ついに成功を収めた。

その時、幸吉はすでに48歳になっていた。

前坂 俊之 (著)『人生、晩節に輝く。

          長寿逆転突破力』

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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