貧乏のどん底をずっと生きていたわけです 第 2,485 号

「にんげんだもの」などの作品で知られる書家・
相田みつを氏。いまでこそ、その独自の作風や、
心を潤す詩の数々は広く知られていますが、
作品がほとんど売れなかった時期もあったと
いいます。


ご子息の一人氏によると、
みつを氏の最大のピンチは40代後半。
みつを氏はこの時期をどのように
乗り越えられたのでしょうか。親子でなく
ては知り得ないエピソードを交えながら
お話しいただきました。

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(相田一人)

父の最大のピンチも40代後半だったと思います。
30歳で初めての個展を開いて、
「自分は筆一本で生きる」と宣言した時が
相田みつをのスタートです。

その後2~3年おきに個展を開いて
書を売る生活に徹していました。
けれどもとにかく売れなくて、
配給のお米の支払いを
何か月も滞納しなければならないほど、
貧乏のどん底をずっと生きていたわけです。

30で始めて50が見えてくる頃になっても、
生活の苦しさは全然変わらない。これ以上
頑張ったところで果たして妻子を養って
いけるのか。世の中に理解されるのか。
壁にぶつかって、精神的にめげた時期が
ありました。


悪いことは重なるもので、私が浪人して
しまったんですよ。その上、田舎で浪人生活
をしていてもダメじゃないかと思って、東京の
予備校に行きたいなんてことを言ったんですね。
そうしたら父は迷った末に東京に行くことを許可
してくれ、収入がない中で何とか仕送りもして
くれました。


ある時、父が「勉強ばかりやっていると体に毒
だから、たまには気分転換しろ。
上野でいい絵の展覧会をやっているから、
一緒に見に行こう」と誘ってくれました。

約束の時間に不忍池のベンチに行くと
既に父は着いていて、
遠くから父の姿が見えたんです。
常に若々しかった父でしたが、
その時は普段の父に似つかわしくなく、
悄然としているようでした。

その父に向かって、私はあろうことか、
「お父さん、疲れたような顔をして元気がない
じゃないか。いつも『一生勉強 一生青春』
なんて言っているのに、ダメじゃないか」
みたいなことを言ったんですね(笑)。


息子のわがままを聞き入れて
何とかお金を工面し、
励ますためにわざわざ東京に出てきてくれた
のに、といまなら思います。

父は怒らずに苦笑いしていましたけど、
その後、私も大学に無事合格して、
少し落ち着いてきた頃に書いたのが、
いまでは代表作として知られる「道」です。

※月刊『致知』2021年9月号特集
「言葉は力」より

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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