私が仕えたのは国家.それを個人的な目的に使うのは正しくない 第 2,243 号

 フランスの歴史、政治、文化が凝縮したエリゼ宮。

ポンパドール、ナポレオン、ヴィニー、ドゴール、

ミッテラン、シラク、サルコジ……、約300

年の歴代住人の素顔も探る。

エリゼ宮は、フランス大統領府である。

 エリゼ宮に興味を持ち始めたのは、パリ支局長

としてパリに赴任して数年後、約10年を超える。

内外の記者にとって、エリゼ宮はフランスの

内政、外交の取材拠点であるからだ。

 軍人のドゴール大統領は、軍人的潔癖さから、

公私混同を嫌い、エリゼ宮には私物をいっ

さい、持ち込まなかったといわれる。

 エリゼ宮も兵舎の一種と考え、いったんこと

あれば、即刻移動できる態勢であるべきだ、

と考えていたのかもしれない。

 ナポレオンが生涯に遺した膨大な作品である

書簡、歴史研究書、小説、口述、命令書の中

から選出して、名著『ナポレオン言行録』

を発表したオクターブ・オブリは、ナ

ポレオンの生涯を要約して、「25

歳にして有名であり、40歳に

して一切を所有し、50歳に

して、もはや名のほかに

何ひとつ持たなかった」と記した。

 ナポレオンに関する書物は、「彼が死んだ日

から書かれ始めた」と言われるように、その

数は死後、約200年で「40万冊以上」

が出版されている。

 ナポレオンの読書好きはよく知られている

ところだ。貧乏学生だった兵学校時代は

もとより、砲兵連隊時代は、「本屋の

店を食いつぶすほど読書三昧にふけ

った」といわれた。遠征中の野営

の宿舎でも読書をしたといわれる。

 下級将校時代に軍隊で24時間の謹慎を命じられ

たとき、東ローマ皇帝ユスティニアヌスの

「ローマ法大全」を読破した。

 シラク大統領の報道官を1995年から9年間務めた

カトリーヌ・コロナは、重要な国際会議の前に、

エリゼ宮の「祝祭の間」で記者団にブリー

フィングを行うのが常だった。

 コロナは国立行政学院(ENA)出身のエリート

官僚だ。外務省に入省後、駐米大使館勤務や

本省での副報道官などを歴任。その後、

シラク大統領誕生時に39歳でエリゼ

宮の報道官に抜擢された。

シラクのエリゼ宮入りと同時に大統領府事務局長

に就任したドミニク・ドビルパンとは、

ワシントンで一緒だった。

 コロナはエリゼ宮の報道官を9年間務め、しかも、

うるさ型の多い内外記者団から、「完璧無比」

と評価された。コロナはシラクの1期終了

時に辞任を申し出たが、シラクが彼女

の希望を無視して手元から離さなかった。

 「勝ち戦のメンバーは変えない」というフランス

の古来からの格言を尊重したほかに、余人を

もって代え難い彼女の仕事ぶりを

買っていたからだろう。

コロナは、「ハートはどちらかといえば左」だが、

「大統領の政策には9年間すべて合意できた。

欧州も反イラク戦も非宗教問題もすべて

賛成だった。自分が反対だった問題

を報道官として擁護したことは

一度もない」と言明しており、

幸せなコンビだったといえる。

 彼女は、報道官時代のメモはすべて破棄。

「私が仕えたのは国家。それを個人的な

目的に使うのは正しくない」と述べ、

回想録の類を書くつもりもないそうだ。

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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