相互の関係が秩序だった規則性をもって配置されていることに気づく – 2 – 第 428号

 『古事記』や『日本書紀』などに記された古代の

物語を、その舞台となる場所の地理や地形を明確

にイメージしたり、大きく俯瞰したりしながら

読み解いていくと、文章からだけでは読み

取ることのできない物語の背景や、

 物語の舞台となっているそれぞれの地域とある

地域との関連性が明確に浮かび上がってくる。

 古事記も日本書紀も、その企画や編纂を意図した

のは天武天皇であり、二つの書の誕生に関しては、

天武天皇の存在が非常に重要な要素となって

いるのである。

 古事記と日本書紀には、東国にあるべきはずの

「富士山」の名前が一切登場しないのである。

 秀麗な形をした「富士山」はこの国最大の霊山

であり、伊勢からの常波の寄せる先に実際に

見ることのできる山がある。

 古事記などを読んでいると、突然、ある一地方

の地名が思いがけなく登場してくることがある。

 文脈の中においても、なぜその地名が突然出て

くるのか、戸惑いを覚えることさえある。

 しかも古事記や日本書紀などに現れるそれらの

地名を、物語や伝承が示す文脈や関連性に応じ

て、前後に登場する地名と共に、地図の上に

細かく落としこんでいくと、多くの場合、

相互の関係が秩序だった規則性を

もって配置されていることに

気づかされるのである。

 古事記や日本書紀などに現れる場所と場所は、

特定の方位関係のもとで結びつきあっている。

 しかも、それらの場所が人間の骨組みで言えば、

あたかも関節のような位置にあり、重要な

地点を占めているのである。

 おそらく、それらの地名や場所の関係は、古代の

人々にとって非常に大切なものとして、すでに

彼らの共通意識の中に形づくられていた

と考えられる。

 その共通認識の元になっているのが彼らが

語り継いできた神話や伝承だった。

 地図という概念を持たなかった古代の人々は、

神話や物語や伝承の中に、彼らにとって大切

な場所や地名の関係を盛り込み、それを

次の時代に伝え残そうとしたのでは

ないだろうか。

 古事記などの書物は、それらを伝え続ける人達に

とってある種の、共通の地図のような役目を

持つものだったと言えるのではないか。

 ある関連性を持つ重要な地名を盛り込んだこれらの

伝承を伝え続けることで、古代の人々は、そこに

語られた物語と関連付けながら、この列島の

中の重要な地点を頭の中で整理し、

空間化してきたのではないか。

 これらの神話が語るように、古代人にとっての

特別な方位の先にある場所とその場所は、互い

に関連付けられ、世界の広がりを把握する

ための一つの手だてとなっているのである。

 それは彼ら自身がこの列島を移動する場合に

おいて大変重要な情報であった。

 又、自分達の祖先や血族や仲間たちの居所を

把握する場合にも大いに役立ったはずである。

 その地名の情報と実際の太陽などの天体の

動きや地形とを関連させることで、その

神話や伝承に盛り込まれた情報は、

生きた地図にもなりえたのだ。

 物語の舞台となっている場所の地理や地形を

明確にイメージしながら、大きく俯瞰して見

ていくと、文章を読み通すことだけでは見

えなかった、古代の人々の広々とした

世界が見えてくるようになる。

 古代からつながるこの国の歴史の根底には、明ら

かに、太陽によって導かれ描かれてきた古代人

たちの「地図」が隠されている。

 現代文明に固執し一分野の専門性に閉じこもる

ことなく、深くしかも多角的な視野を保ち

ながら歴史に向かい合っていくことが、

今後ますます必要になっていく

のではないか。

 池田潤

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 今回も最後までお読みくださり、ありがとう

            ございました。 感謝!

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