日本人の多くは「耐える」ということを忘れている 第 2,449 号

人間誰にでも、人生の逆境が訪れます。
しかし、現在人はいつしか逆境に耐えること
を忘れ、周囲の人や環境にその責任を
転嫁するようになったのではないか──。

アサヒビールの社長、会長を務め
月刊『致知』の「巻頭の言葉」の執筆陣の
お一人である福地茂雄氏が6月号にて、
「耐える」ことの意味について綴られています。

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(福地)

「耐える」という言葉はもはや辞書の
中にしか存在しないと私は思っています。

逆境と順境は、人生においても企業経営に
とっても糾える縄の如し、より合わせた縄の
ように交互にやってくるものです。


順境の時には逆境の芽が潜んでいる。
一方、厳しい冬の寒さの後には、
やがて暖かい春がやってきます。

逆境は誰にもどこにでも例外なく訪れます。

「幸福な家庭はすべて互いに似かよったもので
あり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむき
が異なっているものである」

トルストイ著『アンナ・カレーニナ』の
冒頭の一文です。
確かに、逆境はいつどのような形で
やってくるか分かりません。
人は誰でも少し逆境の谷間を泳ぐと、世に自分
ほど不幸な人間はいないと思いがちです。

しかし逆境の世は底なしであり、どん底と思わ
れるような厳しい試練のその下には、さらに
想像もつかない不幸が埋もれているものです。

地震・津波・台風・洪水などの自然災害は別と
して、人と人との関わり合いから生じる逆境
に際し、今日の日本人の多くは「耐える」と
いうことを忘れてはいないでしょうか。

歴史を繙いてみても、「耐える」と
いうことはかつて日本人の美徳でした。
それが飽食に慣れ、豊かな生活に包まれた
今日、いつの間にかすべてにわたって
「耐える」ことより、
「社会が悪い」「国が悪い」と
自己責任を考える前に「他責」に
逃げ込んでしまってはいないでしょうか。

自分も責任の一端を担う社会人であり、国民で
あることを忘れてしまっているといえます。

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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