古典のよさは知的文化の伝統という以上に身体文化の伝統だ 第 2,368 号

 平家物語は、日本語として最高の水準にあり、

最高傑作の一つです。しかも、生き方や、どう

やって死を迎えるかという私たちの非常に

重要なテーマを、どの段も持っています。

 …しかし…原文でなければ魅力のほとんどが

抜け落ちてしまうことがおわかりいただける

と思います。そこで、この長大な物語の中

から、声に出してその世界をゆっくり味

わえる場面を、できるだけコンパクト

にとりあげてみました。

 詩は、朗誦したり暗誦したりすること

にこそ魅力がある。

 日本語を体得するという観点からすると、

子どものころに名文と出会い、それを覚

え、身体に染みこませることは、その

後の人生に莫大なプラスの効果を与える。

 現代日本ほど、暗誦文化をないがしろにして

いる国は稀なのではないだろうか。イギリス

ではシェイクスピアやバイロンが、フラン

スではラシーヌなどが、学校教育でも

暗誦され、国民の共通の文化となっている。

 みなが共通の古典テキストを暗誦していること

によって、ふだんのコミュニケーションにも奥

行きが出てくる。何気ない日常のやりとりの

なかに、ふとシェイクスピアが引用された

り、ゲーテの言葉が引き合いに出された

りすることによって、日常の会話が深

い文化・伝統につながり、豊かな

意味が醸しだされる。

 世代を超えた共通のテキストを持つことは、

世代間の信頼関係を強める効果がある。自

分が大切に思い暗誦しているものを、子

どもや孫の世代が暗誦し身体に内在化

させているとすれば、そこに信頼感

や安心感が生まれる。それが古典のよさである。

 ふとした会話のなかに、論語や禅の言葉や

俳句や和歌が差し込まれたりすることがあ

る。そうした瞬間に感じるのは、知的

文化の伝統という以上に、身体文化の伝統だ。

 歌舞伎の醍醐味は「きめる」ところにある。

 北原白秋は、日本詩歌界のイチローである。

イチローがプロ野球の歴史を画するオール

ラウンド・プレイヤーなように、白秋も

近代詩人、童謡民謡の作者、歌人とし

て日本を代表する力を安定して発揮しつづけた。

 近松門左衛門は、虚実をとりまぜ、下世話な

ものも美に変える日本のシェイクスピアだ。

近松の手にかかれば、悲惨な心中さえも

極限的に美しい愛の世界に浄化される。

まさに愛の錬金術師。

 鴨長明は、無常観ポップスの大御所だ。

日本の中世では無常観は万人に愛され

認められていた思想である。

 壮大な野心の達成と滅びの美学。杜甫が『春望』

で歌い、松尾芭蕉が『おくのほそ道』で「夏草

や」と詠んだように、古城のロマンには伝統がある。

 絵と俳句は似ている。どちらも流れ変化して

いく現実を一瞬止め、本質を表現する。蕪村

の句は、現実を写生するスタイルだ。蕪村

は超一流の画家でもあり、「文人」の代表である。

 福澤諭吉は、合理主義的天才説教師である。

諭吉に説教をされて逃げ切れる者はいない。

水も漏らさぬ緻密な論理力や膨大な知識

に加え、いきなり相手の城の本丸を

攻める戦略が見事だ。

 それにしても幼い頃から漢籍を素読暗誦して

いた諭吉が、西洋実学の大家になった

ことは、興味深い。

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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