いま思うと危険を知らせる何らかの予兆があったことも確か 第 1,785 号

酸素ボンベをつけず、
体力と精神力を鍛え上げることで
8,000メートル級の山々を踏破してきた
無酸素登山家の小西浩文さん。

幾度も命の危機に遭遇しながらも、
それを回避してきた小西さんは、
どのような心の習慣を身につけて
いたのでしょうか。

『致知』最新号では、
「危機から生き残った人の習慣」をテーマ
にお話しいただきました。

……………………………………………

幸い、私はどんな厳しい登山でも
かすり傷一つ負うことなくここまで来ましたが、
死に直面した経験は10回以上に及びます。

かけがえのない仲間を失ったこともありました。
一つの頂を目指し、共に支え合い励まし合い
ながらいくつもの難所を越える中で、
仲間との間には何ものにも替え難い絆が
生まれます。

その仲間を失うことは登山家としての
最大の悲しみです。

1996年秋、私は標高8,848メートルの
エベレストの無酸素登頂に挑みました。
パートナーはロブサン・ザンブーという
ネパールの高地民族の男性でした。

標高7,500メートルの斜面を登っていた時、
私たちの遥か上、標高8,000メートルの
地点で大雪崩が発生したのです。

幅200メートルもある見たこともない巨大な
雪崩が、時速数百キロという信じられない
ほどのスピードで目の前に迫ってきます。

しかも、酸素が希薄で一歩を踏み出すだけ
でも重労働に思える世界にあっては、
走って逃げることもままなりません。

この大雪崩を私に教えてくれたのは
10メートル前方を登っていたロブサンでした。

彼の指笛のおかげで私は大雪崩に気づき、
傍にあった氷壁にへばりつきました。

固い氷壁の後ろを大雪崩が凄まじい勢いで流れ
去り、私は間一髪のところで一命を取り留め
ましたが、ロブサンはそのまま大雪崩に巻き
込まれて1,000メートル下に転落、帰らぬ
人となりました。

その遺体はいまだに標高6,500メートルの
雪の下に埋もれたままです。

彼は命を顧みずに私に危険を知らせてくれた、
文字通りの命の恩人でした。

なぜ彼は亡くなり、私は生き残ったのか。
私にはたまたま避難する場所があり、彼には
なかった。ただ、その差でしかありません。

しかし、いま思うと危険を知らせる
何らかの予兆があったことも確かなのです。

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 今回も最後までお読みくださり、

   ありがとうございました。感謝!

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