いろんな積み重ねが あっていまがあるわけです 第 233 号

 イタリア料理の名店「アルポルト」。

 オーナーシェフの片岡さんは、かつて

料理長を務めていたお店で6年連続

満席を続けるほどの腕前を披露

されていたそうです。

その成功の秘訣とは──

────────[今日の注目の人]───

  ◆ 食の喜びを求め続けて ◆

片岡 護(リストランテ・アルポルト オーナーシェフ)

   ×

落合 務(ラ・ベットラ・ダ・オチアイ オーナーシェフ)

───────────────────

【落合】

 「グラナータ」とは対照的に、片岡さん

が昭和52年から料理長を務められた

「マリーエ」では、最初からお客

様がたくさんいらっしゃった

ようですね。

【片岡】

 オーナーが有名なテノール歌手の五十嵐喜芳

さんで、イタリアに精通していらっしゃい

ましたから、ここで出すものなら間違い

ないだろうという印象が最初から

あったんです。

 その時、僕の頭にあったのが、ミラノの

「ダリーノ」というお店でした。

 いろんな料理を少しずつ出して、最後に

美味しいパスタがバーンと出てくる。

 あぁ、こういう懐石料理みたいなのが

イタリアにもあるんだと思ってすごく

印象に残っていたんです。

(略)

 (それで)日本料理のエッセンスを入れて、

日本人の個性を生かしてやろうと思っ

たんですよ。

 最初は、そういうのはイタリアンじゃ

ないと思われて、五十嵐さんも乗り

気ではなかったんです。

 でも、僕はとにかくいろんな形で

イタリア料理を知っていただき

たいという気持ちが強かった

ので、何とかご理解をいた

だいてやってみたら、

それがすごくヒットしましてね。

 僕がお店にいた6年間、ずっと満席

が続いたんです。

【落合】

 だからお互い両極端といえば

両極端なんですね。

 僕の場合はイタリアと同じものを出そう。

 同じやり方をコピーして絶対に本物以上

にしてやろうという気持ちでやっていた

けれども、片岡さんは本物のイタリア

料理でありながら、日本人が喜ぶ

形にアレンジされた。

 だから日本のお客様にも最初から受け

たんですね。頭がいいんだよ。

【片岡】

 五十嵐さんとの契約期間は6年間だった

んですが、4年経った頃によそから、

うちでやりませんかというお誘い

をいただきましてね。

 いろんな人に相談したんだけど、自分の

やりたいお店のイメージははっきりして

いたので、だったら自分でやったほう

がいいと考えて、2年後に独立して

「アルポルト」をオープンしたわけです。

 ですから、独立のきっかけをもらった

のは、その引き抜きの話だったんですよ。

 ただ、最初は全然お客様が入らなくて

本当に大変でした。

 五十嵐オーナーの手前、「マリーエ」

でやっていたことは伏せていて、知

名度もありませんでしたからね。

 でもありがたいことに、女優の有馬稲子

さんが新聞のコラムに僕のお店を取り

上げてくださって、それからずっと

満席になったんです。

 こうして振り返ってみると改めて実感す

るんですが、そんないろんな積み重ね

があっていまがあるわけですよね。

【落合】

 僕が独立を具体的に考える

ようになったのは……

※イタリア料理の最高峰に立つお二人です

が、心のうちではまだまだ勉強しなけれ

ばといまも料理の道一筋です。

 一つの仕事に誇りをもって取り組む、

お二人ならではの対談の続きは本誌で

 『致知』2016年5月号 

        特集「視座を高める」P58

今回も最後までお読みくださり、ありがとう

           ございました。 感謝!

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