私心や私欲を捨てれば.人間の器が大きくなる 第 2,034 号

 昭和初期の大不況の時代に政財界の要人を

狙った血盟団事件に連座し逮捕。八年の

獄中生活を経て出所後は近衛文麿や

鈴木貫太郎の秘書となり反軍部

活動、終戦工作に邁進。

 戦後は吉田茂を皮切りに、池田勇人、佐藤

栄作から中曽根康弘、細川護煕まで、歴代

総理はなぜこの男の言葉に耳を傾けたの

か。その実像に迫る。激動の昭和史を

駆け抜け、歴代総理の指南役と呼ば

れた男の凄絶なる人生。

 四元義隆は平成16年、96歳で

波瀾の生涯に幕を閉じた。

 戦後、政界の中枢に広く人脈を築き、隠然

たる影響力を持ちながら、決して徒党を組

まず、富や名声を追い求めることを嫌った。

 四元の生涯を昭和史とのかかわりで見て

いくとおおまかにいって3つの時期

に分けられる。

1.昭和3年、彼が郷里鹿児島を出て東大

法学部に入学してから、学生組のリー

ダーとして血盟団事件に参画し、

逮捕される昭和7年まで。

2.昭和15年、小菅刑務所を仮出所した後、

時の近衛首相やのちの大臣になる緒方

竹虎の知遇を得て活躍。終戦の首相

を務めた鈴木貫太郎の秘書役を

やり、昭和20年で終わる。

3.ワンマン宰相と呼ばれた吉田茂に信頼

されたことから始まる。そして保守本流

といわれる政治家を中心に人脈を築いた。

 四元が子供のころには、まだ薩摩における

郷中教育の伝統が受け継がれていた。その

教育を通じて、「義の為に命を惜しむな」

「人に負けるな」「弱い者いじめをす

るな」「議をいうな」などの、薩摩

隼人の精神を叩き込まれた。

 彼のもう一つの原点は、血盟団事件で逮捕

された後の8年6か月に及ぶ獄中生活と

その間の徹底した座禅修行である。

 彼は「小菅は自分を鍛える道場だった」

と語っていた。寝る時間がないほど坐

禅に専念した。また飯炊き、封筒づ

くりなどの刑務所の労働は、禅寺

での作務と心得ていた。

 作戦の鬼、陸軍随一の頭脳といわれた

小畑敏四郎は、戦争末期、近衛、吉田

茂などと連絡を取り合い、終戦工作

に邁進した。また終戦直後の内閣

では国務大臣として活躍。こう

した活動を通して小畑は四元とも知り合った。

 坐禅、そして坐禅の日々。獄中は四元に

とってまさに禅の道場であった。第一

食事をすることに困らないし、娑婆

の喧騒もない。禅寺で修行する

雲水のように自分を徹底して

鍛える格好の場になったのである。

 彼は、朝起床と同時に冷水浴をした。

「坐って数呼吸したらもう朝になっ

ていた」彼は当時のことをよく

そう言っていた。それほど

一心不乱に坐り、禅定すなわち、

心を静めて一つのことに集中して、

宗教的な瞑想状態に入っていたのである。

 「吉田茂さんはわがままで傍若無人な面

はあったが、こと国のことになると自分

のことは何もなく、どうしたら日本が

よくなるかばかり考えていた。政治

の判断に私利私欲がなかった」(四元談)

 わたしは四元に「宰相の条件としてただ

一つ挙げるとすれば何になるでしょうか」

と尋ねてみた。するとその時言下に、

「それは器だ。人間のスケールだ」

という答えが返ってきた。また、

それも「私心や私欲を捨てれば、人間

の器が大きくなる」ということだった。

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 今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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