私の生き方や考え方が大きく変わったのはそれからです = 2-1 = 第 2,347 号

知的障碍のある長男の誕生、夫の死、ご自身の
大病など、度重なる試練を潜り抜けてきた
岸田ひろ実さん。

絶望の中にいた岸田さんを救い、
立ち直らせたものは何だったのでしょうか。

人生の歩みを交えながら語っていただいた
『致知』の記事を紹介します。

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私が倒れたのは、主人が亡くなって2年後でした。
父親を亡くして子供たちも精神的に落ち着かない
状態でしたので、私も1年間は家にいて子供
たちのケアをしながら過ごしていました。

1年後、たまたま近くにオープンした整骨院が
受付業務を応募していて、そこで働くように
なりました。


一応、完璧主義者というか、家事も子育ても
手を抜かない主義でしたので、気がつけば
平均の睡眠は4時間。夜は洗濯と掃除を終えて、
明日のお弁当の準備をして床に就く。

朝は5時半に起きて朝食をつくり、子供たちを
送り出して仕事に行く。そういう生活を続けて
いたら、やっぱり倒れてしまったんです。

心臓の血管が外から剥がれていく
大動脈解離という死の病でした。


助かるには、心臓の血管を丸ごと人工血管に
変える大手術が必要でした。手術をしても命が
助かる確率は2割あるかないか。

それを宣告されたのが高校2年の奈美なんですね。
宣告を聞いた奈美は吐いて気を失って、
そのまま病室に運ばれたそうです。

幸い手術は成功しました。ところが、胸から
下に麻痺が残ってしまったんですね。
「命は助かりましたが、自分の足で歩くことは
一生できないので、諦めてください」。
そう言われた時、最初に思ったのは、
病室の外で待ってくれている娘にこの現実を
どう説明しようか、ということでした。

娘はいつものように「大丈夫、大丈夫」と
明るく言ってくれました。でも、大丈夫では
ないことは私が一番分かっていました。

好きなところにも行けないし、好きな服も
着られない。すべてを失って、人ではなく物に
なってしまった。そんな気持ちでした。

それ以上に年頃の奈美と障碍のある良太の
これからを思うと、深い闇に沈んでいく
ようでしたね。

※本記事は月刊『致知』2015年12月号
「人間という奇跡を生きる」から一部
抜粋・編集したものです。

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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