目の前の環境を当たり前と受け止め一所懸命生きていく 第 2,684 号

モデルとして活躍する田中れいかさんは、
児童養護施設の出身。
その田中さんには、
生い立ちや境遇に関係なく、誰でも
好きな自分になれる社会をつくる
という夢があります。

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(田中)

生い立ちや境遇に関係なく、
誰でも好きな自分になれる社会をつくる─。

7歳から18歳までの11年間を
児童養護施設で育った私は、この志を実現
するための活動に取り組んできました。

27歳を迎えた現在は、夢だった
モデルとしての活動に留まらず、講演や本の
出版、受験費用の助成事業を行う一般社団法人
で代表理事を務めるなど、様々な角度から
チャレンジを続けているところです。

このような考えに至ったのは、
幼少期の体験があったからでした。

1995年、東京都足立区で3人きょうだいの
末っ子として生まれました。明るく元気な
子供時代を過ごしましたが、ある時期から
両親の激しい喧嘩が日常茶飯事となり、
母は私たちを置いて家を出てしまいました。
残された父の怒りが
私たちに向かうようになったのはその頃です。

ある日の深夜、
姉と共にパジャマ姿のまま家を飛び出し、
交番に駆け込みました。
それから先のことはよく覚えていません。
東京都の児童相談所で保護された後、
世田谷区の施設で暮らすことになったのは、
小学2年生の時でした。

当時は、目の前の環境を当たり前と受け止め、
その中でただひたすら一所懸命に
生きていくしかありませんでしたが、
施設での生活は規則正しく、小学生から
高校生までのお姉さんやお兄さんと共に、
楽しい日々を過ごさせてもらいました。

高校卒業後は保育士になるための短期大学
に進学。しかし、慣れない一人暮らしの中、
生活のために3つのアルバイトを掛け持ち
しながら、学業の両立に苦心し、だんだんと
保育士の夢にも迷いが生まれてきました。

同時に、中学生の頃から抱いていた
モデルの夢に挑戦しようと、オーディション
を受けるもうまくいきません。将来に漠然と
した不安を抱える日々が続きました。

そんなふうに何もかもが手つかずになった時、
自分の生い立ちを悔やむことしか
できない自分がいました。

施設出身でなければ……。
この親の元に生まれていなかったら……。
そう思えば思うほど、
一般家庭で暮らす友人たちが
羨ましく思えて仕方がありませんでした。

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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