海人たちのエネルギーは.歴史を動かす原動力になった = 2-2 = 第 2,185 号

 「商社は、もしかすると古代から存在していた

のではないだろうか?」筆者は、そう古代

商社についての仮説を立てた。

 広い範囲の商品を扱い、多くの事業を手掛け、

それらに関わる多機能を有する総合商社と

いう業態は、日本にしかない。韓国にも

類似した業態はあるが、日本の総合

商社のように多機能を持つとは思えない。

 古代、遠距離を移動する術を身に付けた海洋民

たちは、お互いの漁場の情報、さらには新しい

漁業技術や造船技術、海域ごとの潮や風の

状態、それらに対応する航海術のノウ

ハウなどを、オープンに交換しあっ

ていた可能性が高い。

 彼らの情報ネットワークと機動力について

レベルは高い。海人たちのオープンな世界

は、古代からずっと引き継がれてきた。

 漁労民たちは、いつしか中国、朝鮮、日本海域

に広がる情報網と運輸交通手段を独占するよう

になった。やがて、「海洋ビジネスマン」へ

と変身する。古代商社マンの誕生である。

 古代商社のビジネス拠点とは、いったいどの

ようなところにあったのか。古代商社の

商談はどこで行われたのか。

 吉野ヶ里遺跡には、「倉と市」という区域が

ある。倉庫や市場である。まさにここは、古

代の交易が行われた現場であり、吉野ヶ里

の住人と外部の商人が接触した場所だと考える。

 古代の海で活躍した海人集団を語るとき、安曇

一族のことをまず取り上げなければならない。

安曇は「阿曇」とも書かれる。長野の安曇

野は、この氏族の一派が住んだ土地とされる。

 福岡市は現在でも、九州経済の圧倒的中心都市

だが、古代においても、この地が海陸の物資の

集散地として、経済活動の拠点だったことが窺える。

 この地を拠点に古代商社のオペレーションを

一手に握っていたのが、安曇と名乗る

海人集団だったと思われる。

 安曇のライバル商社が、宗像一族である。

朝鮮半島への航海安全の神の島に仕立て

上げられた沖ノ島には、宗像氏の祭神

である宗像大社奥津宮が存在する。

 海人集団、宗像一族は、東から北に大きく

伸びる日本列島の地形を、海岸線を

伝いながら把握していく。

 大和政権のニーズに即応する必要のある

宗像一族は、有明海の拠点確立にどう

対処したのか。宋への朝貢のための

ロジスティクスを確保すること

が、宗像の使命であった。

 古代商社の海外調達力は、朝鮮半島に開か

れた交易市場での交渉力にかかっていた。

 大陸側との交易を対等・円滑に進めるため

には、豊富で多彩な交換商品を用意しなく

てはならない。交渉の前面に立つ古代

商社には、その機能が求められ、そ

れを支える財力が必要だった。

 海人たちのエネルギーは、歴史を動かす原動力

になった。あるときは水軍、あるときは商船、

そしてあるときは海賊として暴れまわった。

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  今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝!

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