同調行動は日本人だけが陥りやすい罠ではない = 2-1 = 第1,527号

 太平洋戦争という日本の針路決定の陰に、20代、

30代の若者達の戦いがあった!東京工業大学

の学生に向けた、目からウロコの名講

義を再現。「時代に流されずに

生きるとは」を熱く説く。

 人との出会いは不思議である。たまたま未知の

人物を訪ねると、そこに一枚、歴史を開く

扉があった。きっとそんな扉が

無数に存在するのだろう。

 たったひとつの数字、あるいはひとつの決断

が世界を変える、と僕は知った。1997年に

小泉純一郎という代議士に出会った。

 その人物が総理大臣になると

予想した者は皆無だった。

 運命とは、ほんとうにわからないものだ。

その後、道路公団民営化に関わった。

 2006年9月、官邸執務室で、5年半の任期

を終え、退任直前の小泉総理は、感慨深げ

に言った。「道路公団民営化がほんと

うにできるとは思わなかった」

 日米開戦の1941年、高橋健夫さんは、当時

26歳で陸軍の技術将校だった。彼は、その

当時、戦争せざるを得ない空気が作られ

ていった、との趣旨を話している。

 高橋さんは、1935年、東京帝国大学工学部

応用化学科に入学。最先端の燃料に関する

仕事を望んでいた。最初、商工省燃料

研究所に入る。すぐに、徴兵され

新兵教育を受け、その後、幹部

候補生試験に合格。陸軍工科

学校にて、短期間の指導を受け、士官となる。

 そして、陸軍航空技術研究所を経て、陸軍省

整備局資源課(陸軍の燃料を担当)に引き

抜かれた。上司からまず「物資動員計画

(極秘)」を勉強せよ、といわれた。

 これは、あらゆる物資の供給量とそれをいかに

陸軍、海軍、民需に配分するかという数字が、

整然と配列されている。高橋中尉は数字

の魔力に眩惑を感じた。羅列された

数字を手にすることによって、な

んとなく日本の物的国力を完全

に自分の手に掌握したような気分にさえなった。

 高橋中尉は、日々、日本の石油備蓄と消費

の関係を集計していくうちに、あきらかに

燃料不足であることに気づいていた。

 そのため、南方進出・蘭印占領を想定して

いたが、なかなかそれを決心しない上層

部に苛立ちを感じていた。

 そこで別の課の10年ほどの年長である原田

少佐に相談にいった。彼に相談すると、い

つもじつに分かりやすく問題を解きほぐ

してくれる。はやる若手将校と冷静

な少佐のやり取りが面白い。

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今回も最後までお読みくださり、

       ありがとうございました。感謝!

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