この人のおるところは.いつも平和だったんですよ = 2-2 = 第 2,432 号

翌日、気を取り直し、
開口一番ミネやんに赦しを乞いました。

「ミネやん、昨日は私の都合ですみませんでした」

「いいえ、よかとです。
神父さんの都合のつく時でよかとです。
私には都合はありません。
私は自分の都合を言えるような
人間じゃなかとです。
私は親の都合で
親のいない子供として生まれました」

ミネやんはその時初めて
自分の生い立ちを語ってくれました。

父親は不明、母も一歳の時に亡くなり、
親戚の都合でたらい回しにされ、
気づいたら孤児院にいたといいます。

中学を出た後は大阪で
車の整備工の資格を取ろうとしましたが、
病気の都合で帰郷
以来、三十年間以上、
入院し闘病生活を続けていたのです。

ミネやんはうっすらと
涙を浮かべながら言葉を続けました。

「何のために生まれたのか。
自分の生き甲斐は何か。
私も自分の都合を言っている時は辛かったです。
面会に来てくれた人に会えるかどうかも
私の病状と院長先生のご都合です。
ここに入って三十三年、
神様にもきっとご自分の深い
都合があるとでしょう。

だけど、ある時から神様の都合に
合わせて生きてみようと思い始めました。
そしたら楽になりました。
だから私には都合はなかとです。
神父さんの都合のつく時に来てください」

ミネやんの言葉に金槌で
頭を小突かれた思いの私は、
その日、しおれて帰途に就きました。

ミネやんが天に召された後、
私は生前約束していた通りに
亡骸を私の住む司祭館に連れて帰りました。

通夜が終わった夜遅く、
病院で働く女性の清掃員さん二人が
教会に来られました。
そしてしみじみとおっしゃるのです。

「あぁ、ミネやんがおらんごとなって
寂しゅうなりました。
この人のおるところは
いつも平和だったんですよ」

「平和」という思わぬひと言に驚いた私は
「どうしてですか」と聞きました。

「この人は自分の都合を言わん人でしたから。
患者同士が衝突すると、
ミネやんをベッドごとその間に入れる。
そうすると静かになるとです。
あぁ、ミネやんはここの人だったんですか。
神様の子供じゃったとですね。
いま、やっと分かりました」

そう言うと二人は声を上げて泣きました。

※(本記事は月刊『致知』2022年2月号
 より一部を抜粋・編集したものです)

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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