「 仕事・職 」一覧
動作はしなやかで若々しく保つことができます 第 2,490 号
こんにちは、 岡田宰治です。 前回は「開脚チャレンジ90日の気づき」でした。 開脚チャレンジの結果とそのプロセスからの気づきでした。 今回は「股関節を軟らかくする-1-」です。 ・開脚チャレンジで股関節に集中する 股関節の軟らかさのチェック法としては、 大きく分けて3つの方法に集約されます。 1.合蹠(がっせき)座り(前屈) これはヨガの合蹠のポー...
人間は誰もが欲深く欠点だらけの弱い情けない存在 第 2,489 号
戦後教育の立て直しに情熱を注いでいる 元高校教師の中村正和さんは、 普通高校や定時制高校での苦しい体験を経て、 「共に是れ凡夫」の自覚に至ります。 先生も生徒も皆、 本当は凡夫であることを自覚するところから、 それぞれが許し合い、それぞれのよいところを 出し合って、協力する「和」が生まれる―― 中村さんが至った境地に学びます。 対談のお相手は、空手の指導と人間教育に 44年...
自ら考えて自分が自分に最後の命令を出すもの = 2-2 = 第 2,487 号
今にして私は、ずいぶんと自由というなら これ以上の自由はないと思うのでありますが、 私の父に感謝するのであります。 中学時代からほとんど相談といっても だいたい自分で考えて 「こうしようと思うがどうでしょう」 という程度でありました。 「どちらの方がいいか」という相談は、 ほとんどしたことがないのであります。 これはまあ私には少なくとも、 たいへんありがたいことでござい...
貧乏のどん底をずっと生きていたわけです 第 2,485 号
「にんげんだもの」などの作品で知られる書家・ 相田みつを氏。いまでこそ、その独自の作風や、 心を潤す詩の数々は広く知られていますが、 作品がほとんど売れなかった時期もあったと いいます。 ご子息の一人氏によると、 みつを氏の最大のピンチは40代後半。 みつを氏はこの時期をどのように 乗り越えられたのでしょうか。親子でなく ては知り得ないエピソードを交えながら お話しいただき...
幼い頃の環境がピカソの才能を育んだのである 第 2,483 号
十組の父と子がいれば、 十通りの向き合い方があります。それは優れた 業績を残した偉人にもいえることです。 ここでは、評論家・木原武一さんが語る ピカソの才能を開花させた父親の姿を 紹介します。 ─────────────────── (木原) フランスの劇作家モリエールは、 「学ばずしてすべてを知ることが、偉大な 芸術家の特徴の一つである」と言っているが、 人間の...
多くの問題は解決し安心して楽しく運動できる体となります 第 2,480 号
こんにちは、 岡田宰治です。 前回は「10年先をイメージして行動する」でした。 向上心とともに欲のコントロールが大切という内容でした。 今回は「股関節・開脚チャレンジ90日の気づき」です。 ・目標は達成できたか? 過去、何回か開脚前屈には挑んだことはありますが、 すべて、内転筋の肉離れでピリオドとなっています。 30代、40代でもリタイヤしたのに、 6...
経営者として辛く寂しく情けなかったことはありません 第 2,476 号
株式会社八天堂のくりーむパンは、 明治8年に広島で創業してから、 現在は全国に21店舗、 さらに海外では9店舗にまで 広がりを見せています。 その老舗の大人気店では、 月刊『致知』を使った 勉強会・「社内木鶏会」を導入し、 社員の人間力向上に取り組まれています。 森光社長はいかに困難に向き合い、 会社を蘇らせていったのでしょうか。 ぜひご覧ください。 ―――――...
考え方や熱意次第で人生は変わることを実感されました 第 2,475 号
かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」 と称された日本ですが、 いまや日本の世界競争力は31位、 熱意を持って意欲的に働く日本人は 僅か5%だという衝撃の調査結果も出ています。 京セラとJALで稲盛和夫氏の側近として 長年仕えた大田嘉仁氏と一橋大学ビジネス スクール客員教授の名和高司氏に、トップ リーダーの仕事観・人生観を紐解きながら、 私たちが目指すべき働き方についてご対談...
日本の運命を左右することになる重大な会議 第 2,474 号
時は1933年。前年に満州国樹立を宣言した 日本と中国大陸を狙う欧米列強の対立は 激化の一途を辿っていた。 世界が不穏な空気に包まれていく中、日本の 運命を左右することになる重大な 会議──新型戦艦建造計画会議──が いま海軍省の会議室で始まろうとしていた。 それは次世代の海の戦いを見据える“航空 主兵主義”派と日本海軍の伝統を尊重する “大艦巨砲主義”派の権力闘争...
僕は”自分の心の声”を聴くことが大切だと考えています 第 2,473 号
1995年、28歳の時に 日本人男子として62年振りとなる ウインブルドンベスト8に進出した松岡修造さん。 しかし、松岡さんの20代は怪我に苦しみ、 失敗の連続だったといいます。 いかにして栄光を掴まれたのか、 31歳で現役を退くまでの挑戦と失敗の軌跡、 そしてそこから学んだものについて 赤裸々に語っていただきました。 ───────────────── (松岡) ...