たとえ逆境の中にいても喜びはある = 2-1 = 第 2,457 号

その人だけが生まれながらに天から与えられた
能力を仕事や人生にどう生かすか――。

片や日本料理、片やテニス、
それぞれの道で一流プロとして活躍されてきた
道場六三郎氏と松岡修造氏に、ご自身のご体験
を交えながら語り合っていただきました。

伝説の料理番組「料理の鉄人」で初代の和の鉄人
として見事な腕前でお茶の間を魅了した
道場六三郎氏。そんな道場氏が若い頃から心掛け
実践されてきた仕事の極意とは?

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〈松岡〉
せっかくの機会ですから、道場さんの原点に
ついてお聞きしたいのですが、そもそも料理の
世界に入られたのはどういうきっかけですか?

〈道場〉
僕は子供の時から料理人になりたかったわけでは
ないんです。ただ、父親が非常に料理好きで、
漆の仕事をする傍ら、味噌や鰯の
糠漬けなんかを嬉々としてつくっていました。
その影響も多少あるのかもしれません。

17歳の時、近所の魚屋の親父さんが病気に罹って
しまい、手伝ってくれないかと言われましてね。
威勢のよさに憧れて働き始めたのが最初の
きっかけです。

そこで魚を捌いて刺身にしたり串焼きにしたり
していたんですが、ある時、得意先の旅館の
チーフから忠告を受けました。手に職をつけた
ほうがいいよと。

料理人になれば食べるのに困らないだろうと
いうこともあって、料理の道に進むことを決め、
ある人の紹介で東京の日本料理店で働くことに
なったんです。


〈松岡〉
それは何歳の時ですか?

〈道場〉
19歳の春です。母親は僕が東京に出て
苛められたり、相手にされなかったり
することが一番心配だったんでしょう。

「六ちゃん、人に可愛がってもらいや」って
言うんですよ。だから、あの当時はお風呂で
先輩の背中を流したり、誰よりも早く店に来て
先輩の白衣と靴を用意したり、ボロボロに
なった高下駄を修理したり、

煮こぼれて汚れたガス台を夜通しピカピカに
綺麗にしたりと、先輩に喜んでもらえる仕事は
何でもやりました。


〈松岡〉
お母様の教えを実践されたのですね。


※『致知』2018年7月号より

致知出版社の人間力メルマガ

  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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