認められるようになった時すべては自分だと気づいたのです 第 2,345 号

脳性麻痺のため話すことも
体を動かすことも
思うようにできない堀江菜穂子さん。

しかし、堀江さんはベッドに寝たきりの
生活を送りながら、これまで筆談により
数多くの詩を紡いできました。
堀江さんはなぜ詩をつくり続けるのでしょうか。

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私はテレビを見ながら
「面白い」と感想を言おうとしても、
それを話すことができません。
朝起きて寒いと感じても、
それを伝えることができません。

「言いたくても言えないこと」とは、
例えばそのようなことです。だから、
詩は私にとって意思そのものなのです。
自分の詩を誰かに読んでもらおうと
いうようなことは全く考えていません。

思いはすべて自分の心の中のこと。
私が詩に何か思いを込めているとするなら、
それは私の魂の解放、
苦しい自分から逃れることです。

・ ・ ・ ・

たびだちのとき

たくさんのじぶんとたたかってきた/
だいすきなじぶん/だいっきらいなじぶん/
こどもみたいなじぶん/
どれもじぶんであって じぶんではなかった/
わたしというにんげんは/
いったい どれがほんものなのだろう/
じもんじとうのまいにちだった/
いまわたしには こたえらしきものがみえてきた/
それはじかんがおしえてくれた/
いまこのときにおもうのは/
けっきょく すべてはじぶんだったのだと/
じぶんでじぶんをみとめてやったら/
ボロボロとおとをたててくずれていった/
じぶんがつくりあげていただけの じぶんじしん/
ひとりぼっちになったわたしの/
これが たびだちのとき

・ ・ ・ ・ ・

自分の意思を人に伝えることができない時、
あまりの苦しさに私の心は音を立てて
割れました。


バラバラになった心は自分のものなのに、
思春期の私にとってそれを認めるのは
とても難しいことでした。

時間が経って、その一つひとつを
認められるようになった時、
すべては自分だと気づいたのです。

※本記事は『致知』2020年1月号
「自律自助」から一部抜粋・編集したものです。

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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