自身の勝手な思い 第 30 号

 私達は自分の心の持ち方によって、接するもの

全てを自分の都合のいいように勝手に変形し、

認識してしまうという傾向があります。

 食べ物でも品物でも人間でも、みな自分本位

に「あれは良い、これは嫌いだ」と考え、好

きなものは手元に引き寄せ嫌いなものは遠

ざけるという好悪(こうお)の感情を表し、

行動を起こします。

 ところが同じものでも、自分が好きでも人が

嫌いなものもあり、自分が嫌いであっても、

人が好きなものがあり、人によって

みな一様ではありません。

 仏教では「一水四見(いっすいしけん)」といい、

同じ水でも天人は瑠璃(るり)と見人間は水

餓鬼(がき)は血魚は住処(すみか)とそれ

ぞれ異なった見方をする、といいます。

 このように同じものでも、見る立場や時と場合に

よって対象物が異なって見え、まるで別のもの

であるかのように心に映し出されます。

 ふつう私達は自分の目に映る対象物を、あるがまま

の姿で客観的に見ていると思っており、だれが見て

も同じように映し出されるものだと信じています。

 しかし、例えば富士山を描く場合、外形は同じ三角

形であっても、描く人によって、その形や色合い

はそれぞれみな違いデフォルメされています。

 すなわち富士山という対象物は、自分のデフォルメ

された心の投影に過ぎないのです。

 にもかかわらず、多くの人は自分の心の投影である

富士山が、客観的に実在しているかのように考え、

その姿にとらわれて絶対視しています。

 自分の心が勝手に作り上げた虚像がんじ

がらめになり、それに自分が振り

回されているのです。

 人のやる事がいちいち気にくわなくて、

すぐ腹を立てる短気な人も同様です。

 江戸時代に盤珪禅師(ばんけいぜんじ)はそうした

短気者から、「私は生まれつき短気で怒りぼっく

て困っています」と相談を受けたことがあります。

 すると禅師は、「そなたは、面白いものを(持って)

生れつかれたの、今もここに短気がござるか。

あればここにお出しゃれ、治して進ぜ

ようわいの」と言いました。

 「ただ今はございませぬ。何とぞいたしました時

にひょ(い)と短気が出まする」「しからば

短気は生まれつきではござらぬ。

 何とぞした時の縁によって、ひょいと

そなたが出すわいの。

 何とぞした時も我を出かさねば、

どこに短気があるものぞ。

 そなたが身のひいきゆえに、向こうのものにとり

あって、わが思惑を立てたがって、そなたが出し

ておいて、それをば生まれつきというのは、

難題を親にいいかくる大不孝の人という

ものでござるわいの」とたしなめたといいます。

 このように私達は日頃、自分を中心にものを考え

その自分から眺めた周囲の対象物に、あたかも

固定した実態があるかのように錯覚を起こし

てそれに振り回され泣いたり笑ったり

の生活を繰り返しています。

 私達はふだん、自分から外界を眺めていろ

いろ判断していますが、そうした自分を

いったん突き放して、自分のしている

ことを、自分が冷静に眺められる

ようになったらシメたものです。

 『法句経(ほつくぎょう)』に、「おのれこそ

おのれのよるべ、おのれならで誰(たれ)に

よるべぞ、ととのえしわれのちからに

勝るもの、いずこにあらん」とありますが、

 ととのえられた自分の力とは、自分を中心と

するのではなく、私達が共有する人間本来の

意識にのっとって、自分が判断し行動する

ことを指しているのだと思います。

 そうしたことはなかなか難しい事であり、

私達は人間である以上は自分から喜怒

哀楽(きどあいらく)を取り去る事

は出来ませんが、そうした自分

を乗り越え、自立できる人間

になりたいものです。

     ( 仏教伝道協会 みちしるべより )

  今日も読んで戴き有難うございます。

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