仕事を辛く感じるか.楽しく感じるかで将来が決まる 第 209 号

 イタリア料理が国内に広まる礎を築いた

功労者の一人、落合務さん。

 そんな落合さんにも、もちろん修業時代が

あったわけですが、果たしてどのように

乗り越えてきたのでしょか?

 心のありようがいかに大きな差異となるか。

 そのことを落合さんの歩みが

教えてくれています。

────────[今日の注目の人]───

  ◆ 修業時代に何を感じるか ◆

落合 務(ラ・ベットラ・ダ・オチアイ オーナーシェフ)

   ×

片岡 護(リストランテ・アルポルト オーナーシェフ)

───────────────────

【落合】

 僕はもともと勉強が好きで、大学附属の

中学校で真面目に勉強していたんだけど、

僕を可愛がってくれていたお祖父ちゃ

んやお祖母ちゃんが亡くなったり、

父が3回目の離婚をするとかし

ないとかで、うちの中が

ガタガタしてきましてね。

 多感な時期だったから、父をちょっと困ら

せてやりたいと思って「学校を辞めたい」

って言ったら、逆に肯定されてしまって(笑)。

 ちょうどほら、帝国ホテルの村上信夫さん

が東京オリンピックの総料理長に決まって

話題になっていた頃で、雑誌なんかに

村上さんがコック帽をかぶった写

真がよく載っていたでしょう。

 あの姿に憧れてコックを目指す

ことにしたわけですよ。

【片岡】

 格好よかったですよね。

【落合】

 それで、最初に父が探してきてくれた日本

橋の洋食屋さんに入り、さらに別のお店

でもしばらく働いていたんだけど、自

分の夢をいろいろ話していたら、そ

れならホテルでやらなきゃダメ

だって言われて、19歳でホテル

ニューオータニに入ったわけです。

【片岡】

 まだ開業したばかりの頃でしょう。

【落合】

 オープンしたのが東京オリンピックがあった昭

和39年で、僕が入社したのはその2年後でした。

 総料理長が有名な小林作太郎さんでね。

 最初はもちろん皿洗いからだったけど、

ラッキーなことに人手が足りなかった

ので、よそで少しやっていたのを

見込まれて、半年で調理場に

移動できたんです。

 最初は分からないことばっかりでいろ

いろ大変だったけど、あまり辛かっ

たという印象はないんだなぁ。

 若いからどんどん吸収していくし、いま

振り返っても楽しい思い出ばかりですよ。

【片岡】

 そこを辛く感じるか、楽しく感じるかで

将来が決まるんですよね。

【落合】

 僕はわりと機転の利くほうだったから……

※ 日本にイタリア料理を広める礎を創った

お二人の歩みは、そのまま日本における

イタリア料理の歴史を見る思いです。

 食の道に懸けたお二人の対談の全容は

本誌でお楽しみください!

『致知』2016年5月号 

       特集「視座を高める」P58

今回も最後までお読みくださり、ありがとう

           ございました。 感謝!

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