危機を避けることも重要な危機対処法の一つ (2-1) 第 194 号

 ゾルゲ、ラストボロフ、レフチェンコ、

瀬島龍三、秘密メモ全公開!!

 日本に侵入した様々なスパイたちの捜査秘話を

含め、自らがアメリカでスパイ特訓を密かに受

け、時にはスパイを操った事実を初告白。

 はじめに 私とスパイたちとの関わりを書く 

 第一章 父弘雄とスパイゾルゲは

いかに関係したか

 小学生の時から、ゾルゲ事件で逮捕され

処刑された、あの「尾崎秀実」を間近に

観察し、父が連座して特高に逮捕され

るかもしれないと怯えた日々……。

 戦後、警察官になったとたんにラストボロフ

事件が発覚し捜査にも協力。

 香港では台湾系スパイを運用するかた

わら英国MI5に監視される。

 その姉妹組織MI6のスパイでもあった作家

フォーサイスと知り合えば、作中、実名

で登場する羽目に……。

 佐々流の波瀾万丈のノンフィクション・

スパイ・ストーリーの開幕─。

 私の警察、防衛における職歴年譜のなかで、

謎の空白となっていた1959年11月から19

60年7月の半年間、実は密かにアメリカ

に派遣され、ジョージタウン大学の「研

修生」という名目で、アメリカのFBI

やCIAでスパイ摘発のさまざまな

訓練や学習を受けていたのだ。

 そのときの体験が、その後のスパイや

過激派との戦いにおいて役立った

ことはいうまでもない。

 警察に入って以降、警察、防衛、内閣と

歩んできた私の危機管理人生を振り返る

と、経歴としていちばん長いのは、「外

事警察」の情報官・捜査官である。

 1965年から2年半、私は香港領事を務めていた。

 大陸情勢について元国民党政府軍准将の

孫さんからアドバイスをもらっていた。

 この老紳士が、暗号名エルピーという日本の

外務省の極秘エージェントであり、警察から

出向して領事を務めていた私が運用

するスパイであった。

 香港領事時代、香港のストーンカッタース

島で日本海軍将兵の遺骨収集を行った。

 その夜遅く、疲れ果てて帰宅すると、

見計らったように孫さんが現れた。

 我が家のベランダからビクトリア湾越しに

見える、闇に浮かんだストーンカッタース

島に向かって合掌し、「国のために戦っ

て死んだ軍人の霊は慰めなければい

けない。戦死者を大切にしなけ

れば、いい軍隊は育たない。

感銘をうけた」と言って、

戦死者に黙祷を捧げてくれた。

 「インテリジェンスとは紳士のホビー

である」と、英国人は言う。

 イギリス国外での諜報活動を担当するM16

(秘密情報部)は、組織の長が誰なのか

ずっと秘密にしていたが、公表する

ようになってトップが「サー」で

あることがわかった。

 貴族の職務だったのだ。

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 今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。 感謝!

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