生きる喜びと生活の楽しみの違いを知る.急がば回れ (2-2) 第 121 号

 市場に出回る製品や農産物も見かけの良い

ものがよく売れ、そうでないものは見捨て

られてしまいがちです。

 しかし、外見の良いものが必ずしも価値

があるものとは限らず、時には裏切ら

れることがあります。

 このように、ラクしたい、トクしたい、カッ

コウ良くしたいという欲望に翻弄されて、そ

れらを得る事によって、あたかも、幸せを

約束されるかのような錯覚に陥りがちで

すが、その行き着く先には、自分や他

人や物自体を裏切る落とし穴が待ち

受けていることに気付くべきです。

 現代人はとかくせっかちで、ときには手段

や過程を省略してでも、なるべく早く

目的を達成しようと焦りがちです。

 しかし、そうしたせっかちなやり方は、どこか

に無理があり、いつかはそれが表面化して、自

分がそのしっぺ返しをくらい、あぶはちとら

ずでかえって高いツケを払うことになります。

 そうしたときになって、はじめて気づき、

後悔しても後の祭りです。

 山登りをするにしても、今日では頂上を極める

のに、いろいろな手段が用意され、私達にその

選択権が委ねられています。ふもとから重い

荷物を担いで、一歩一歩自分の足で踏みし

めながら、汗をかきかき、やっとのこと

で山頂に達する方法もあれば、途中ま

で車や馬を使ってラクに登る事も出

来、もっと手っ取り早い方法を選

ぶなら途中を省略してヘリコプ

タ-で一気に山頂に立つ事さえできます。

 どの道をたどろうと頂上を極める点で

は同じですが、到達した登山者の

心境はそれぞれ異なります。

 すなわち、苦労をしてふもとから登りきった

人にとっては、おそらくその喜びは自分の心

に深く刻み込まれ、後になっても、それが

懐かしさとして思い出されることでしょう。

 しかし、なんの苦労もなく、ラクに登った人

にとっては登山自体は楽しみであっても喜び

は薄く、その印象は自分の心に長くとどま

ることなく忘れ去ってしまう事でしょう。

 このように、外見上はどの道をたどろうとも

同じ山頂に立ち、目的を達成する事は出来ま

すが、そのたどり方によって、それぞれの

登山者の心に刻まれる体験内容は、千差万別です。

 私達は、ここではっきりと人生の喜びと生活

の楽しみの違いを、知っておくべきでしょう。

 そして、自分の幸せに結びつく人生の喜びは、

いくら生活の楽しみを文明の利器やお金を

使って、手っ取り早く手中に収め、数多

くこなしたところで、決して得られ

ないことを銘記しておくべきでしょう。

 「急いては事をし損じる」という諺もある

ように、急ぐときは、危険でも近道を通り

たくなるものですが、それはかえって

失敗を招くもとになるものです、

自然は急ぎません。

      ( 仏教伝道協会 みちしるべより )

 今回も最後までお読みくださり、

       ありがとうございました。 感謝!

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