生きる喜びと生活の楽しみの違いを知る.急がば回れ (2-1) 第 120 号

 私達には生きる上でどうしても、従わざるを

得ない自然の法則があります。

 例えば、いくら大声を張り上げても、千㍍も

遠く離れた先方の人と話が出来ないとか、鳥

のように空を飛べないとか、いくら私達が

努力をしても、人間の能力には限界があ

り、それは昔も今も変わりはありません。

 ところが、人知が開けて科学技術を進歩させ、

文明の利器を開発してきたおかげで、今日で

は、海をへだてた遠距離の人と通信で話を

することが出来ますし、飛行機に乗れば

高い空を飛ぶことが出来ます。

 今まで不可能と思われたことが可能になっ

てくると、次第に自分たちは何でも出来る

のだという、人間万能の錯覚に陥りがちです。

 しかし、依然として自然の法則に支配

されていることは事実です。

 そうした機械文明の恩恵に浴せなかった昔の人

は、ことごとく不便な生活を強いられ、それが

当然と思っていましたから苦痛に耐え、物事

はそう簡単に自分の思うとおりにならない

ことを良くわきまえ、自然の法則に謙虚

な気持ちで、自分を適合させるより

仕方がなかったわけです。

 ところが文明の利器にならされてしまった

私達は、便利さが当たり前と思い、ます

ます快適さを求めて、人間の欲望は

肥大化の一途をたどっているようです。

 現代人にとっては、幸せになる事と、自分の

欲望を満足させることが同義語化し、他の誰

よりも自分がラクをしたい、トクしたい、

カッコウ良くしたい、という三つの面

での欲望の充足を、たえず追い求め

ているといっても過言ではないでしょう。

 しかし、はたして、そうした生活が、

私達に本当の幸せをもたらして

くれるかどうか疑問です。

 

 例えば、ラクしたいという事について、今日

では私たちが実際に汗水流して身体を動かし

頭を使わなくても、ボタン一つで手軽に

効率よく機械が仕事を代行してくれま

すから、その分だけ手間を省き

ラクが出来るわけです。

 こうして誰しも苦労するより、ラクするように

なると、私達の手足は次第に弱くなり身体はふ

やけて思考力が衰え、文明の利器が発達すれ

ばするほど、人間の心身は内部崩壊を

早め、退化するようになります。

 トクをしたいという事についても、誰しもが

ソンをするよりトクすることを望むようにな

ると、たえず、自分が他人よりも有利な条

件で競争に打ち勝つことが要求され、と

きには、相手を押しのけたり不正な手

段を講じてまでも、自分だけが

うまい汁にありつこうとします。

 その結果、自分がトクして満足することは、

同時に相手にソンをかけ、そうすることに

よって相手の恨みや妬みを買い、ひいて

は自他の対立や争いを生むことになります。

 カッコウよくすることについても、今日では

人間の内容よりも表面が問題視され、外見が

良くなければ価値を認めてもらえないとこ

ろから表面を飾り立てて人の注意を引

こうとする傾向があります。

           ( 長くなりましたので次号に続きます )

 今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。 感謝!

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