遠くを眺めて海が美しいって感動しながら下りていく喜びがある 第1,438号

数々のベストセラーを世に送り出してきた
作家・五木寛之さん。

禅の一道を歩み、鎌倉円覚寺管長を務める
横田南嶺さん。

弊誌連載でお馴染みのお2人が語り合う、
人生100年時代に必要な「下山の思想」とは??

〈横田〉
五木さんを前に申し上げるのもなんですが、
私もこの頃は、人生の下り坂に差しかかった
ことを実感することがあるんです。

〈五木〉
えっ、全然そういうふうには見えませんけれども(笑)。
失礼ですが、横田さんはいまおいくつなんですか。

〈横田〉
今年54になります。

〈五木〉
うーん、まさに人生の盛りじゃありませんか(笑)。

〈横田〉
とはいえ、道元禅師は53で亡くなっていますからね。
 
私はその道元禅師の、
坐禅は安楽の法門であるという教えを拠り所に、
これまで一所懸命坐禅に取り組んでまいりましたし、
いまも20代の修行僧たちと一緒に坐っています。
けれどもこの頃は、結構くたびれることも
あるようになりました。

1週間ほぼ寝ずに坐禅だけをする時もあるんですが、
後でガタガタッと体が弱って寝込んでしまったり、
だんだん若い人たちについていけなくなりつつ
あるのを痛感するんです。

 
これではいけないと思いましてね。
いろいろと試行錯誤をして、
去年から今年にかけて自分の坐禅を180度
変えたんです。

〈五木〉
ほう、どのように変えられたのでしょう。

〈横田〉
これまでは意志の力で坐禅をしていました。
腰をしっかり立てたり、吐く息を長くしたり、
精神を丹田に集中させたり、
いろんなことを意識しながらやってきたんです。
けれども、そういう意識的にやっていたことを
全部やめてみました。

 
そうやって全部手放してただ坐っていると、
心の内から喜びが湧き上がってきたのです。
それまで奥歯を噛み締めて、鬼の形相で坐禅を
してきましたが、ニコニコと微笑みがこみ
上げてきました。

私はそこで、すべてを手放して微笑みながら
坐る坐禅というのもあるのではないかと
発見しました。

〈五木〉
それはまさに自然法爾ということですね。
法爾というのは、楽しみであり、喜びで
あると思うんです。

〈横田〉
ですから、泰道先生には「精いっぱい生きよう」
と言われましたけれども、その「精いっぱい」に、
「楽しんで、喜んで」が加わるような心境に
なってまいりました。

そして、人生の下りには下りの景色の味わいが
あるのではないかと思い始めたところです。

〈五木〉
私は昔から「下山の思想」ということを盛んに
言ってきたんですけど、山を登っていく時の姿勢と、
下りていく時の姿勢では重心のかけ方も違いますし、
見ている世界も違いますよね。

必死で登坂している時は頂上を見ているだけで、
他のことは考えられませんけれども、
下山は一歩一歩踏みしめながら、優雅に
下っていける。

昔のことに思いを馳せることもできるし、
遠くを眺めて、あぁ町がある、村がある、
海が美しいって感動しながら下りていくことも
できる。

下山には、登りの時には味わえない
そういう喜びもあるんです。

〈横田〉
今後は、そういうところにもっと注目して

いく必要がありますね。

致知新書 何のために生きるのか/五木寛之×稲盛和夫

本書では、互いを“ソウルメイト”と語る2人が、
苦難の連続だった幼少期や自身の原体験、
日本人の精神性を支える仏教について率直に語り合い、
日本人の生き方や宗教の役割、
そして現代人が失ってしまったものとは
何かを浮かび上がらせていきます。

【DVD】照らされて光る―混沌の世を生きる智慧/横田南嶺

禅の名刹・円覚寺の横田南嶺管長が
1200名の聴衆を前に魅了した渾身のご講演をDVD化。
笑いあり、感動の涙ありのご講演の中では、
坂村真民先生の詩や仏教の教えをいとも
わかりやすく話されます。

 今回も最後までお読みくださり、

       ありがとうございました。感謝!

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