身を捨てる覚悟で子供たちの救出活動に臨んだ先人の生き方 = 2-1 = 第 997 号

  ≪100年間埋もれていた

         日本の偉人たち≫

 名利を顧みることなく、大義に生きる

ことを潔しとした古きよき

日本人の男たち。

 そういう男たちの実話が100年ぶり

に明らかになりました。

 1920年のロシア革命時、難民となって

広大なアジア大陸を彷徨っていた800

名のロシア人の子供たちとその教

職員を、貨物船を改造した大型

船「陽明丸」に乗せ、太平洋、

大西洋を横断して3か月を

かけて無事親元に届け

たのが、勇敢な日本

人の船会社社長と船長でした。

 彼らは世界のどの国も断ったアメリカ

赤十字からの救援依頼を引き受け、

人知れずその危険な務めを

為し遂げたのです。

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 北室 南苑(著述家)

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■「陽明丸」の探索はふとした出会いから

 「陽明丸」の救出作戦は驚くべき内容

ですが、この貴重な史実を発掘した

のは歴史家でも研究者でもありません。

 石川県の書家・北室南苑さんです。

 特別に歴史を学んでいたわけではない

書家によって事実が明らかになった

点も特筆に値します。

 北室さんは国内外で個展を開催していま

すが、2009年、ロシアの古都・サンク

トペテルブルクでの個展の折、ある

ロシア人女性から「実はある

人を探しています。

 ぜひ協力してほしい」と

いう相談を受けます。

 女性の名はオルガ・モルキナさん。

 オルガさんの祖父母は子供時代、「陽明

丸」によって救出されていて、オルガ

さんはカヤハラさんという船長の

子孫にどうしてもお礼が言い

たいとずっと願ってきた

というのです。

 余りに唐突な相談でしたが、そこから

北室さんの執念ともいえる探索

がスタートします。

              ─────

 探索の取っ掛かりは「ヨウメイマル」と

いう船を特定することでしたが、これは

早い段階で、大正時代に運航していた

外国航路の大型船「陽明丸」にほぼ

間違いないことが分かりました。

 その系統に繋がる船会社に話を聞くなど

する中で浮上したのが、当時の経営者

(船主)だった勝田銀次郎という

人物の名です。

 さらに調べていくと、ごく簡単な記述

ながら、勝田船主は「子供たちを救っ

てほしい」というアメリカ赤十字

の依頼を受けて貨物船だった

陽明丸に客室を装備、人員

輸送に必要な装備を施

した上でロシアに船

を差し向けていたことが分かりました。

 人望の厚かった勝田船主は経営の一線を

退いた後、神戸市長を2期務めています

が、それだけの人物でありながら、

書店で入手した評伝などを紐解いて

みても、陽明丸や子供たちの救済

に関しては、なぜかごくごく限

られた情報以外に見つける

ことはできません。

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『致知』で歴史に埋もれた偉人に学ぶ
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今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝

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