賭ける人にあわせて変幻自在に姿を変える砂漠 = 2-2 = 第1,632号

 カジノの歴史。肥沃な草原に開いたパンドラ

の箱ラスベガスでは、いくつものカジノ

が栄え、そして衰えて行った。

 そもそもネバダ砂漠のオアシスとして発見さ

れたとき、ラスベガスはまだアメリカ合衆国

ではなかった。ゴールドラッシュにわく

1848年、メキシコから割譲されて

アメリカ合衆国になった。

 転機は大恐慌と同時にやってきた。1931年の

カジノ合法化は、ネバダ州の税収確保のため

だった。さらに、ラスベガスの目と鼻の

先でフーバーダムの建設がはじ

まり、労働者が流れ込む。

 ラスベガスの発展に欠かせない重要なもの

が、建設や運営にかかる莫大な資金だった。

カジノ業界を支える金融インフラが整わ

なければ、いかなる奇想天外なアイデ

アも、実現することは不可能だったに違いない。

 カジノに対する融資を積極的に行った

人物が、パリー・トーマスである。

 他の銀行はマフィアとの係わり合いを恐れ、

カジノには融資をしなかった時代にあって、

まさに異端児と呼ぶにふさわしい。

 トーマスはラスベガスの発展を予想し、現実

のものとなった。後にインタビューで、「自

分の目の前にはロードマップがあった」と

答えている。それまでは自己資金に頼っ

ていたカジノが、彼の融資や投資を

受けることで、巨大なプロジェ

クトも可能となった。

 また、映画「アビエイター」でおなじみの

ハワード・ヒューズも、買収を繰り返す

ことで、犯罪組織をラスベガスから

追放することに間接的に寄与した。

 ラスベガスモデルの世界制覇。1931年に産声

を上げた近代ラスベガス・カジノは、奇跡

の4マイルと呼ばれ、今や世界最大の「

カジノ・エンターテインメント・

シティー」として君臨する。

 そして、70年以上かけて創りあげたカジノ・

ビジネスモデルを武器に着々と勢力を伸

ばし、世界カジノ市場を手中に

収めようとしている。

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 今回も最後までお読みくださり、

   ありがとうございました。感謝!

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