英国がインドにもたらした最大の置き土産は強い官僚機構 第1,032号

 経済成長著しいインドには、どのよう

な財閥が存在するのか? 勃興した

英国植民地時代から現在に至る

まで「インドの財閥」の足

跡をたどりつつ、21世

紀の今後も展望する。

 19世紀、インドの商人たちはコミュニ

ティを基盤として、東インド会社や

英国資本系の巨大企業に囲まれ

ながら、したたかに財閥

化していった。

 だが、英国による植民地政策、独立

後の社会主義混合経済のもとで、

財閥は翻弄されていく。

 そして1991年の外貨危機を契機とした

自由化政策により新たな成長戦略の

なかで再び活力を取り戻した。

 インド最大の財閥である、タタ財閥は

傘下に90社以上の企業を持ち、80か

国以上で事業を展開するインド

最大の財閥である。

「自動車」「鉄鋼」「IT」が

タタ財閥の中核事業である。

 タタ財閥のITサービス事業を担うのが

業界最大手「タタ・コンサルタンシー・

サービシズ(TCS)」である。

 同社は、タタ財閥傘下企業の中でも利益

貢献度が高く、事業ポートフォリオ上

重要な虎の子といえる企業である。

 そのため持ち株会社タタ・サンズに

よる株式保有割合が7割超と高い。

 同社の売り上げで4割以上を占める

のが「金融向けサービス」であり、

同分野の開拓や買収が、成長

の鍵を握る。

 そもそも、インド財閥の起源は、ボン

ベイとカルカッタの二大都市で隆盛

した「商人のコミュニティ」にある。

 彼らはコミュニティの先達から商売を

学び、コミュニティ間で資金を融通

して助け合い、その信頼とネット

ワークによって成功していった。

 多重的な社会構造のなかで商売する

のに必要なものは「何かの縁」

だったわけである。

 インド商人はコミュニティを基盤にして、

東インド会社、英国商人、インド政庁

などの英国の権威を上手に捉えて

大商人となり、工業投資を行

い、財閥化していった。

 「パルシー」はゾロアスター(拝火)

教徒の商人コミュニティである。

 優れた英語力を持つパルシーは、英国

東インド会社の通訳などを行い、や

がて彼らと取引するようになった。

 そして、その蓄財によって19世紀中頃

にはボンベイの不動産の半分をパル

シーが占めるようになったとも

言われている。

 パルシーを出自とする財閥は、今日

インド最大のタタ財閥のほか、

ドレジ財閥やワディア財閥

などがある。

 「英国がインドにもたらした最大の

置き土産は強い官僚機構である」

とよくいわれる。

 植民地インド政庁では、ICS(インド

高等文官)がエリートとして活躍し、

高い能力で盤石な地位を築いてきた。

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今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝

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