自国の学術や芸術の伝統を守ろうとする人も多かった 第 2,187 号

 日本におけるスコットランド史研究の第一線

専門家が、最新の知見をもとに新たに提示す

る通史。有史以来さまざまな圧力にさらさ

れながらも独自の社会・文化を生みだし、

世界に影響を与えてきた北国の流れ

総覧した決定版。図版、コラム多数。

 スコットランドは南のイングランドと隣接

していることから、両国の間には政治、

経済、社会、文化などあらゆる面

で、深い関係を持ち続けた

 その関係は、手短にいえば、「敵対

的な関係」に尽きる。

 小国スコットランドは大国イングランドに

支配され、従属的位置に置かれたため、そ

のくびきから逃れようと大陸のフランス

と「古き同盟」を結び、ややこしい

勢力関係が生じた。

 そもそもスコットランド人とイングランド人

異民族であったことに、敵対的な関係

が生じた根本的原因がある。

 スコットランドは、ケルト系のピクト人とア

イルランドから移住したケルト系のスコット

人が合一して建国した、ほぼ純粋なケルト

人の王国である。

 一方のイングランドはゲルマン系のアングロ・

サクソン人がローマ軍の撤退後に大挙して

侵入してきて築いた国である。両国が

親和的な関係を保持できる背景

は当初からなかった。

 スコットランドで啓蒙運動が高まったのは、

イングランドとの合同によって生じた「権

力の真空状態」と関係があるだろう。

 合同のあと、広い領地をもつ政治家や有力な

貴族たちがスコットランドに見切りをつけ、

一斉にロンドンに居を移したため、

スコットランド人は置き去り

にされた意識を抱いた。

 しかし、その敗北感に埋没することなく、

むしろイングランドへの対抗心をもって

スコットランドにとどまり、自国の

学術や芸術の伝統を守ろうと

する人も多かった。

 富が蓄積され財政が豊かになったエディンバラ

ではニュータウンが建設され、「北のア

テネ」と呼ばれるようになる。

 大学が整備・拡充され、広範な学科が設置

された。科学、博物学、医学、法学などが

重要視されるが、哲学が学問の主要な

位置を占め、知的なバッグボーンを形成した。

 人間と社会の研究が進み、デイヴィッド・

ヒュームやアダム・スミスの著作

が一世を風靡する。

 大戦後のイギリス/スコットランド経済/北海

油田の発見/ナショナリズムの復活/サッチャー

の時代とその後/20世紀後半の社会と文化

スコットランド議会の設置。

 木村正俊『スコットランド通史。

          政治・社会・文化』

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  今回も最後までお読みくださり、

    ありがとうございました。感謝!

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