生きることは感謝の念が起こらなければならい 第1,366号

「只の困難であるに過ぎないことを、
 不可能と思い込んでいる人たちに、
 可能への道を拓いてくれる知恵の宝庫です」

これはイエローハット創業者である
鍵山秀三郎さんの『修身教授録』へのコメントです。

発売から30年余が経つものの、
いまも多くの方々に読み継がれる本書から、
そのエッセンスをご紹介します。

致知出版社の人間力メルマガ 2019.4.9
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ところが、私の考えでは、われわれ人間は
自分がここに人間として生をうけたことに対して、
多少なりとも感謝の念の起こらない間は、
真に人生を生きるものと言いがたいと思うのです。

それはちょうど、たとえ食券は貰ったとしても、
それと引き換えにパンの貰えることを知っていなければ、
食券も単なる一片の紙片と違わないでしょう。

(中略)

しかも人生の意義を知るには、何よりもまず
このわが身自身が、今日ここに人間として
生を与えられていることに対して、
感謝の念が起こらなければならぬと思うのです。

しかるにこのように人身をうけたことに対する
感謝の念は、昔の人が言った
「人身うけがたし」という深い感懐から
初めて発して来るものと思うのであります。

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『修身教授録』の特別サイトはこちら
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しかるに、自分がこの世の中へ人間として生まれて
来たことに対して、何らの感謝の念がないということは、
つまり自らの生活に対する真剣さが薄らいで来た
何よりの証拠とも言えましょう。

というのもわれわれは、自分が自分に与えられている、
この根本的な恩恵を当然と思っている間は、
それを生かすことはできないからであります。

それに反してそれを「辱(かたじけな)い」と思い、
「元来与えられる資格もないのに与えられた」
と思うに至って、初めて真にその意義を生かす
ことができるでしょう。

自分は人間として生まれるべき何らの功徳も
積んでいないのに、今、こうして牛馬や犬猫とならないで、
ここに人身として生をうけ得たことの辱さよ!
という感慨があってこそ、初めて人生も真に
厳粛なものとなるのではないでしょうか。

    ───第二講/人間と生まれて

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人生をひらく言葉と出逢える月刊誌『致知』
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 今回も最後までお読みくださり、

       ありがとうございました。感謝!

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