玉石混淆な情報のなかから.有用な情報を選び出す能力 = 2-1 = 第 2,724 号

 日本が大戦へと向かう中、自らの目で世界を

見つめ、外交交渉の最前線で闘った男たち

がいた。ユダヤ人迫害の危機が迫る中、

本国からの警告を無視して渡航許

可証を発行した杉原千畝。日本

が第二次大戦前へと向かう中、

杉原だけでなく多くの日本

人外交官が世界各地で戦争と戦っていた。

 日中戦争初期、本国の訓令を待たずにラジオ

で平和的解決を訴えた斎藤博。国際連盟事務

次長を務め、1940年の東京五輪誘致に尽力、

日本の国際連盟脱退後もイタリア・フラ

ンス特命全権大使を務めた杉村陽太郎。

吉田茂の援護射撃として日独伊三国

同盟の締結を危惧する電報を送り

続けた来栖三郎……。

 彼らはそのとき、一体何を見、何を行い、

日本をどんな未来へ導こうとしたのか。

外務省外交史料館に眠る4万冊の資料

を読み解き、先人の足跡をたどる。

 杉原千畝を「偉大なヒューマニスト」と評価

することに異論はない。しかし、その陰で

見落とされがちであるが、彼が同時代

の日本人のために命がけで入手した

情報の意義は大きく、そこに込め

られた杉原のメッセージを見落

としては、泉下の杉原に申し訳ない。

 杉原が命懸けで得た情報とは、在ケーニヒス

ベルク総領事館で総領事代理を務めていた、

1941年の5月9日に送った電報第8号に

記された、ドイツ軍がソ連侵攻の準備

を極秘に進めているという情報である。

 この電報に記された情報こそ、内容面から

考えても、独自性から考えても

まさに重要情報であった。

 内容面に関しては、ドイツ軍がソ連侵攻を

準備しているとの情報は、日本外交の根幹

を揺るがす、サプライズ情報であった。

 ヒトラーは密かに対ソ侵攻の「バルバロッサ

作戦」と呼ばれる計画の立案を命じたが、立

案にあたって日本側には絶対に情報がもれ

ないよう、厳しく言いつけていた。

 ヒトラーのシナリオどおりに事態は推移した

が、日本が独自の道を歩む可能性をもたら

したのが杉原情報であった。日本に無

通告でソ連を攻撃したことは、端的

に言って日本への裏切りに他ならない。

 杉原情報は、日本がヒトラーの呪縛から逃れ、

日本外交本来の道に立ち戻る可能性

を秘めていたのである。

白石 仁章 (著)『戦争と諜報外交。

        杉原千畝たちの時代』

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  今回も最後までお読みくださり、

      ありがとうございました。感謝!

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